◆各種設定ごった煮注意
解説があるものは先にご確認ください
二度目は間違えない。気持ちは素直に伝えるように、先生の気持ちを疑わないように、一つずつ確認しながら慎重に積み上げる。前回の失敗は痛いほど身に沁みていた。あの時抱いた疑念は己の気持ちをぶつけたら解消出来たはずだと分かったし、頭の中で捏ねくり回していないで話し合うべきだとも理解している。先生の理解と働きかけばかりを待っていてはいけない。二人でいる為には行動が必要なのだ。与えられたチャンスをふいにしないよう深く心に刻み、最大限努力した。
もっとも先生は彼と違い、正直に全てをぶつけてくれるので疑う余地など残っていなかった。くるくると変化する表情に引き上げられる感情を持て余し、どれだけ取り繕おうとしても全て先生の前で晒す羽目になったのだが、失望されるかもしれないという予想は大外れ。寧ろ大喜びで受け取って、何倍もの気持ちへ変えてくれたので驚いた。明るい響きに彩られた日々は恋をしているという言葉に相応しく、毎日が新鮮で楽しかった。アカデミーの門で待ち合わせをし、色んな店を食べ歩く。先生は食べることが大好きで、どこへ行ってもニコニコと幸せそうな顔は見ているこちらも楽しかった。喜ぶ姿を見れば嬉しくなり、もっとしてやりたいと思いを巡らせては先生に会いに行く。満面の笑みで迎えてくれる人との明日を思えば胸が高鳴り、まさしく恋だなと変に感心したりした。
たまにはゆっくり家で飲もうと言われて断る理由などなく、色々と買い込んで先生の家へと向かった。何度も通っている道を、初めて辿るような顔をして歩く。久々に招かれた家はどうなっているのだろう。住んでいる人間は同じなのだから、変化などないはずだと信じる心の裏には一抹の淋しさがある。俺の知る家と違う景色になっていたら、平静を装うのは難しい。けれど、全く変わっていないとしても動揺してしまいそうだ。しっかり感情のコントロールをしなければと、表面上は笑顔を浮かべて静かに決意する。
アパートの階段を上って二階の突き当たり。玄関を入ると懐かしい匂いを感じた。無味乾燥な俺の部屋とは違い、生活している匂いがする。雑多に積み上げられた巻物や本も、書きかけのプリントもみんな同じ、イルカ先生の部屋だ。下手に動いてはボロが出ると、勧められるままに卓袱台の前へ腰を下ろした。運ばれてきた取り皿やコップは全て見慣れたもので、つい目尻が下がってしまった。
「バラバラですみません。食器を揃えるとか興味がなくて」
「男の一人暮らしなんてそんなもんじゃない? 俺なんてお椀がないから全部マグで代用だよ」
「カカシさんてそうなんですか!? 何かオッシャレーな皿で飯食ってるイメージでしたけど」
「何それ。先生ん家のがずっと揃ってるよ」
「これでですか」
ふはっと笑いながら渡された皿をじっと見つめる。ここで食事をする時は、いつもこの皿を使っていた。古い物でごめんなさいと置かれた淡い青磁の皿はどう見ても傷一つなく、大切に取っておかれた物だと分かる。うん、としか応えずに使っていた過去の自分を殴りたい。きっとこの皿は彼にとって大事な物だった。それを俺の為に出してくれたのだ。先生に聞いても意味がないのは知っていても、今なら教えてくれるのではないかと過ぎった期待を捨てられなかった。
「綺麗な皿だね」
「いーでしょう? 特別なんですよ」
ふふんと胸を張る先生に先を促す。得意気な表情から一変、今にも瞳が溶け出してしまうのではと心配になるほど哀しげな瞳になった。ふっと瞳を緩めて穏やかに笑う。
「母ちゃんが大事にしてた皿と似てるんです。とっておきの皿って分かります? ご馳走だぞ―っていう特別な料理を盛る為の皿。うみの家でハレの日用の皿だったんですけど、家と一緒になくなっちゃって。以前任務で行った町で見つけて、どうしても欲しくなったんです」
「先生の思い出が詰まった大事な皿なんだ」
「まあ、サイズは大分違います! 家にあったのは大皿だったんですけど高くって。新米中忍の給料じゃこのサイズが精一杯でした」
「それを、俺に出してくれるの?」
「カカシさんだから特別です」
鼻傷を搔きながら笑う顔が赤い。恋人と言ってもまだ深い付き合いになっておらず、亡くなった家族の思い出を渡してもらえるほどの関係とは言えない。それでも躊躇なくこの皿を出してくれるのは、先生の中で俺の位置がどこにあるのかを示していて胸が苦しくなる。嬉しくても哀しくても胸が苦しくなるのだと教えてくれたのは、この人だ。卓袱台の向こう側へ回ろうとした手を掴んで引き留める。
「どうかしましたか?」
小首を傾げる様子はまるで分かっていない。俺が何を感じてどう思っているのかを伝えたくて、ぐいと引き寄せて抱きしめた。重なる胸から鼓動が伝われば、その奥にある温かさが伝わらないだろうか。いっそこのまま身体ごと溶け合ってしまえばいい。そうしたらこの気持ちも伝わるかもしれない。抱き寄せる腕に力を入れると、身体の横に垂らされていた腕がそろそろと腰の周りに添えられた。アンダーを摘まむようにそっと添えられた手は、首筋に鼻を埋めるとぐっと強さが増す。先生の温もりと匂いと呼吸の全てが全身を包み込む。腕の中の塊はもぞりと身じろぎをすると、腰にあった手をゆっくりと顔に伸ばしてきた。口布の縁を軽くなぞると、少し躊躇いがちに人差し指を引っ掛ける。そっと顎まで下ろしたら、黒い瞳が少しずつ睫に覆われて見えなくなってゆく。目蓋に隠された瞳を追うように顔を近づけて、唇を擽る吐息ごと包み込み距離をなくした。久々に感じる柔らかな感触に眩暈がする。もっとと逸る身体を落ち着けようと軽く吸って唇を離す。隔てる空間を厭うように鼻先を擦り寄せて開かれた瞳が、潤んでいて。
「カカシさん?」
「ごめんね」
「え?」
もう一度強く抱きしめる。二人ごと抱きしめるように力を入れたが、腕の中の感触が変わるわけでもなく、ただ先生の骨が軋んだだけだった。
「帰ります、また」
「えっ、カ」
呼び止めようとする声を振り切ってそのまま印を組む。たとえあと一秒だってあそこにはいられなかった。
明かりの点いていない部屋は暗く、ほっと安堵の息が出る。今照らされたら全てをぶちまけてしまいそうで怖かった。先生の家のような温かさはなく、無味乾燥でガランとした部屋はただ生きる為だけに存在している。これが、俺の居場所だったはずなのに。
毟り取った額当てを机に放り投げ、ベッドの端に腰を下ろした。新しく始めることは出来る。忘れることは出来なかったが、思い出を抱きしめたままだとしても、可能なはずだった。でもそれを重ねてしまったら、きっと意味が変わってしまう。涙を湛えて潤む瞳は記憶の中の彼と重なって、誰を抱きしめているのか分からなくなった。同じ顔で同じ声、同じ匂い。俺を忘れたというだけで彼と先生は一緒なのだ。充分理解していて、それでも良いと先生を望んだはずだったのに、彼と同じ瞳に見つめられて思い知る。唇の甘さも柔らかさも彼で知った。俺にとっては彼のものだ。突如広がった靄を晴らすほどの確信を持てず、迷いを見せまいと逃げ出した。俺が求めているのは先生だと信じたかったが、見覚えのある瞳を前にしたら断言できない。先生のことが好きで、思いを受け入れてもらえて、明るい日々に浮かれていた。果たしてその関係は、真実だと言えるのか。
惑う頭を必死の思いで押し潰す。ここで認めてしまったら、先生を手放さなくてはならない。ただ唇を合わせただけでこんなにも揺れているというのに、彼と同じ形の別人を求めながら傍にいることなど不可能だ。どちらも大切で、どちらかを忘れることなど考えられない。ならどうすれば良いのだ。
もっとも先生は彼と違い、正直に全てをぶつけてくれるので疑う余地など残っていなかった。くるくると変化する表情に引き上げられる感情を持て余し、どれだけ取り繕おうとしても全て先生の前で晒す羽目になったのだが、失望されるかもしれないという予想は大外れ。寧ろ大喜びで受け取って、何倍もの気持ちへ変えてくれたので驚いた。明るい響きに彩られた日々は恋をしているという言葉に相応しく、毎日が新鮮で楽しかった。アカデミーの門で待ち合わせをし、色んな店を食べ歩く。先生は食べることが大好きで、どこへ行ってもニコニコと幸せそうな顔は見ているこちらも楽しかった。喜ぶ姿を見れば嬉しくなり、もっとしてやりたいと思いを巡らせては先生に会いに行く。満面の笑みで迎えてくれる人との明日を思えば胸が高鳴り、まさしく恋だなと変に感心したりした。
たまにはゆっくり家で飲もうと言われて断る理由などなく、色々と買い込んで先生の家へと向かった。何度も通っている道を、初めて辿るような顔をして歩く。久々に招かれた家はどうなっているのだろう。住んでいる人間は同じなのだから、変化などないはずだと信じる心の裏には一抹の淋しさがある。俺の知る家と違う景色になっていたら、平静を装うのは難しい。けれど、全く変わっていないとしても動揺してしまいそうだ。しっかり感情のコントロールをしなければと、表面上は笑顔を浮かべて静かに決意する。
アパートの階段を上って二階の突き当たり。玄関を入ると懐かしい匂いを感じた。無味乾燥な俺の部屋とは違い、生活している匂いがする。雑多に積み上げられた巻物や本も、書きかけのプリントもみんな同じ、イルカ先生の部屋だ。下手に動いてはボロが出ると、勧められるままに卓袱台の前へ腰を下ろした。運ばれてきた取り皿やコップは全て見慣れたもので、つい目尻が下がってしまった。
「バラバラですみません。食器を揃えるとか興味がなくて」
「男の一人暮らしなんてそんなもんじゃない? 俺なんてお椀がないから全部マグで代用だよ」
「カカシさんてそうなんですか!? 何かオッシャレーな皿で飯食ってるイメージでしたけど」
「何それ。先生ん家のがずっと揃ってるよ」
「これでですか」
ふはっと笑いながら渡された皿をじっと見つめる。ここで食事をする時は、いつもこの皿を使っていた。古い物でごめんなさいと置かれた淡い青磁の皿はどう見ても傷一つなく、大切に取っておかれた物だと分かる。うん、としか応えずに使っていた過去の自分を殴りたい。きっとこの皿は彼にとって大事な物だった。それを俺の為に出してくれたのだ。先生に聞いても意味がないのは知っていても、今なら教えてくれるのではないかと過ぎった期待を捨てられなかった。
「綺麗な皿だね」
「いーでしょう? 特別なんですよ」
ふふんと胸を張る先生に先を促す。得意気な表情から一変、今にも瞳が溶け出してしまうのではと心配になるほど哀しげな瞳になった。ふっと瞳を緩めて穏やかに笑う。
「母ちゃんが大事にしてた皿と似てるんです。とっておきの皿って分かります? ご馳走だぞ―っていう特別な料理を盛る為の皿。うみの家でハレの日用の皿だったんですけど、家と一緒になくなっちゃって。以前任務で行った町で見つけて、どうしても欲しくなったんです」
「先生の思い出が詰まった大事な皿なんだ」
「まあ、サイズは大分違います! 家にあったのは大皿だったんですけど高くって。新米中忍の給料じゃこのサイズが精一杯でした」
「それを、俺に出してくれるの?」
「カカシさんだから特別です」
鼻傷を搔きながら笑う顔が赤い。恋人と言ってもまだ深い付き合いになっておらず、亡くなった家族の思い出を渡してもらえるほどの関係とは言えない。それでも躊躇なくこの皿を出してくれるのは、先生の中で俺の位置がどこにあるのかを示していて胸が苦しくなる。嬉しくても哀しくても胸が苦しくなるのだと教えてくれたのは、この人だ。卓袱台の向こう側へ回ろうとした手を掴んで引き留める。
「どうかしましたか?」
小首を傾げる様子はまるで分かっていない。俺が何を感じてどう思っているのかを伝えたくて、ぐいと引き寄せて抱きしめた。重なる胸から鼓動が伝われば、その奥にある温かさが伝わらないだろうか。いっそこのまま身体ごと溶け合ってしまえばいい。そうしたらこの気持ちも伝わるかもしれない。抱き寄せる腕に力を入れると、身体の横に垂らされていた腕がそろそろと腰の周りに添えられた。アンダーを摘まむようにそっと添えられた手は、首筋に鼻を埋めるとぐっと強さが増す。先生の温もりと匂いと呼吸の全てが全身を包み込む。腕の中の塊はもぞりと身じろぎをすると、腰にあった手をゆっくりと顔に伸ばしてきた。口布の縁を軽くなぞると、少し躊躇いがちに人差し指を引っ掛ける。そっと顎まで下ろしたら、黒い瞳が少しずつ睫に覆われて見えなくなってゆく。目蓋に隠された瞳を追うように顔を近づけて、唇を擽る吐息ごと包み込み距離をなくした。久々に感じる柔らかな感触に眩暈がする。もっとと逸る身体を落ち着けようと軽く吸って唇を離す。隔てる空間を厭うように鼻先を擦り寄せて開かれた瞳が、潤んでいて。
「カカシさん?」
「ごめんね」
「え?」
もう一度強く抱きしめる。二人ごと抱きしめるように力を入れたが、腕の中の感触が変わるわけでもなく、ただ先生の骨が軋んだだけだった。
「帰ります、また」
「えっ、カ」
呼び止めようとする声を振り切ってそのまま印を組む。たとえあと一秒だってあそこにはいられなかった。
明かりの点いていない部屋は暗く、ほっと安堵の息が出る。今照らされたら全てをぶちまけてしまいそうで怖かった。先生の家のような温かさはなく、無味乾燥でガランとした部屋はただ生きる為だけに存在している。これが、俺の居場所だったはずなのに。
毟り取った額当てを机に放り投げ、ベッドの端に腰を下ろした。新しく始めることは出来る。忘れることは出来なかったが、思い出を抱きしめたままだとしても、可能なはずだった。でもそれを重ねてしまったら、きっと意味が変わってしまう。涙を湛えて潤む瞳は記憶の中の彼と重なって、誰を抱きしめているのか分からなくなった。同じ顔で同じ声、同じ匂い。俺を忘れたというだけで彼と先生は一緒なのだ。充分理解していて、それでも良いと先生を望んだはずだったのに、彼と同じ瞳に見つめられて思い知る。唇の甘さも柔らかさも彼で知った。俺にとっては彼のものだ。突如広がった靄を晴らすほどの確信を持てず、迷いを見せまいと逃げ出した。俺が求めているのは先生だと信じたかったが、見覚えのある瞳を前にしたら断言できない。先生のことが好きで、思いを受け入れてもらえて、明るい日々に浮かれていた。果たしてその関係は、真実だと言えるのか。
惑う頭を必死の思いで押し潰す。ここで認めてしまったら、先生を手放さなくてはならない。ただ唇を合わせただけでこんなにも揺れているというのに、彼と同じ形の別人を求めながら傍にいることなど不可能だ。どちらも大切で、どちらかを忘れることなど考えられない。ならどうすれば良いのだ。
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