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     ◆◆◆


 先生は変わった。名前で呼んでくれと頼まれたことで、自分の想像以上に親しい仲だったと判断したらしい。受付でも気さくに「カカシさん」と声を掛けてくれるようになり、周りの人間を驚かせている。彼と同じ顔、同じ声でニッコリ笑って話しかけてくれるのだ、当然揺れる。また一緒に飲みたいと思うし二人きりで会いたいと迷う時もあるが、俺に告白してきた彼とは違うのだから簡単に誘える訳もなく、ただ笑い合って受付で別れるだけの日々が続いた。報告書を出しに行けば会えるではないかと思っても、彼はすっかり生活の一部になってしまっていたのだ。どこか抜け落ちたような感覚を味わいながらもやり過ごすしかなく、悶々とした思いもいずれ昇華するのを信じて待つしかない。頭に浮かぶ「やっぱり」の文字を溜息が埋めていく。全て覆い尽くしたら違う境地に至るはずだと、それだけを願う。

 暗部を抜けて以来の酷い任務だった。疲労だけでない重さが身体全体にべっとりと貼り付いて剥がれない。まだ若い同行者は重大任務をやり遂げたと浮かれていて、今日ばかりはテンゾウと組みたかったと思うも溜息すら出なかった。酷い顔色に、おかしな者まで連れてきてないでしょうねと言われ頭がズキズキと痛む。門で別れられたことに安堵の息を吐き、真っ暗な道を一人で歩いた。このまま帰りたいとも、早く休みたいとも思わない。どうせ帰っても寒々しい真っ暗な部屋があるだけだ。本来ならば、彼が。つい浮かんだ思いを否定する気力すらなく、ひたすら前へ進む。
 真夜中の本部棟は暗くてしんと静まりかえっている。唯一明かりが漏れる受付へと向かって扉を開けると、カウンターの向こうに座っているのはイルカ先生だった。薄汚れた姿を見ても眉一つ動かさずニコリと出迎えてくれる。
「お疲れ様でした。カカシさん」
「……お願いします」
 気を抜くと抱きついてしまいそうで、発する言葉は必要最低限。報告書を確認する頭をじっと見下ろしながら、喜ぶべきかどうか迷っている。会いたかった。けど、あなたじゃない。ぐるぐると頭の中で回り始めた言葉を考えまいとしても、今の状態では難し過ぎた。
「はい、結構です」
 ペコリと頭を下げてニコッと笑う。ありがとうと言って背を向ければやり過ごせたのかもしれない。でも、笑顔が許せなかった。彼ならきっと、俺にそんな顔を向けない。ボロボロになって帰還した俺に見せるのは、他の人間に向ける顔と同じじゃないはずだ。俺が不安になる位、苦しそうに笑ってみせてくれ。苛立ちと苦しみが吐き出させたのはどうしようもなく理不尽な、心からの願いだった。
「返してよ」
「はい?」
「……帰ってきてよ」
「あ、あの」
 戸惑う顔に、僅かに残る理性が反応した。返す者も帰る者もいない。彼は彼で、先生だ。何を血迷っているのだと、笑いが浮かぶ。緩く細めた目に映る顔は恋しい相手と見紛うほどの、別人だ。
「すみません、ちょっとぼーっとしていて。もう帰って休みます」
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃないから、休む」
 今度こそ背中を向けて入り口へと進む。絶対に振り返らない。
「何かあったら式を! ここにいますので!」
 投げかけられた言葉が刺さっても、振り返らずに扉を開けた。

 驚かせてしまうほどの醜態を見せたというのに、何事もなかったかのような態度に安堵する。元々優しい人だ、報告書を見た先生は、任務の内容も分かっているはず。凄惨な任務に気遣ってくれたのだろうと少し苦さを覚えたが、有り難いことは変わらない。交わす言葉が増えたのは先生の気遣いを感じさせたが、ほんのちょっとだけ縮まった距離はそれでも遠く、新しく始めたのだから当然だと何度も自分に言い聞かせた。塗り替えられると思っていた記憶は別に保存されるだけで、彼の記憶がなくなるわけでも薄れるわけでもなくただしまわれている。その隣で数を増やしてゆく新しい顔に、捉え所のない思いを持て余す。ひょっとしたらあるはずだったもう一つの俺達なのかも、と過ぎった考えに心が波立った。彼の思いをもっと汲み取っていれば、目の前にあった顔はこうやって笑ってくれたのだと思ってしまうと、また袋小路に閉じ込められる。悩んでも悔やんでも割り切れない二つの心を抱えて立ち尽くすしか出来なかった。



 ややこしい任務で予定よりも帰還が遅れた。肩を落として受付を出て、後はベッドへぶっ倒れるまでだと歩く影を満月が照らす。煌々と光る月に夜道も明るく、身体中へと溜まった澱が少しずつ浄化されてゆくようで、腹拵えの算段まで頭が回復してきた。冷蔵庫は空っぽだし何か仕入れるかと商店の方へ曲がると、石段の途中で満月を見上げる人影がある。月明かりを浴びて光る黒髪は夜風になびいていて、真っ直ぐに伸びた背中がとても綺麗だった。不躾な視線だと分かっていても逸らすことが出来ず、広い背中が動いても誤魔化すことさえせずに足を止めたまま。月をバックにした先生がゆっくりと振り返って微笑む。
「おかえりなさいカカシさん。お疲れ様でした」

 柔らかい笑顔と包み込むような響きに、良いんじゃないかと思った。月を浴びて光る背中は暗い部屋の真ん中で突っ伏していた背中とは別物で、なら良いんじゃないかと。俺を忘れた彼が形まで変わったように見えるのならば、と思ったらまたしてもうっかりと言ってしまった。
「好きです」
「え?」
「あなたのことが好きです。俺と付き合って下さい」
 キラキラと光りを浴びていた頬に朱が差す。薄ら色づく頬に触れたくて石段を登り、すぐ手が届きそうな位置まで近づいた。あと、少し。伸ばした手のひらが頬に触れる直前、隠れてしまった。顔の前で交差した腕が邪魔をして、薄桃色の頬まで手が届かない。
「あのっ、考えさせてください! きょ、今日は失礼します」
 くるりと回れ右をして逃げ出す背中はあっという間に遠ざかる。跳ねる尻尾を捉まえられないかと空間越しに握ってみたが、手の中には何もない。すり抜けたものを閉じ込めることは難しかった。


     ◆◆◆


 避けられていると感じるほど、全く顔を合わせなくなった。いつもなら受付に座っているはずの笑顔を三日ほど見ておらず、追いかけるのは不味いという意識はあるもののそれを抑える理性が足りない。こっそりアカデミーの木に登って授業を覗いてみたり、職員室を探ってみたりと我ながら涙ぐましい姿だ。
 教室の横に伸びる木の上で、子供達の声と重なる響きに目を閉じる。耳を擽る心地よい響きで頭の中を一杯にしたかった。いつも聞こえていた響きはもう随分距離があるように思えて、懐かしむ自分に呆れるしかない。彼の立場をなぞるように告白し、今になってようやく分かった。俺を避ける先生の行動は当たり前で、突然告白されて動揺するな、とは言えないだろう。多分、これが普通の行動なのだと感じるのに、何故俺は躊躇なく彼の思いを受け入れることが出来たのか。付き合うとはいかないまでも、彼に好意を抱いていたのだ。それを今になって理解するとは情けない。もっと早く気付きたかったし、ちゃんと彼に伝えたかった。彼に贈るはずだった言葉は先生へと渡してしまって、もう伝えることすら出来ない。

 受付に座る先生を見るのは五日ぶりだ。俺が入ってくるのは見えていたはずなのに、今日は椅子に座ったままカウンターの向こうで待ち構えている。険しい顔をした先生の前に立ち、報告書を提出した。文字を辿る動きはいつもと変わりなく、たとえどんな状況であっても職務を全うしようとする先生の生真面目さの表れに他ならない。ふ、と浮かんだ笑いを口布で隠して顔を上げるのを待つ。バンと響いた受領印の音が短い平穏の終わりを告げて、未だ下げられたままの頭に溜息を堪える。最後にもう一度あの瞳を見られなかったのが残念だ。背を向けるには名残惜しく、頭の天辺を見たまま一歩下がった。僅かな衣擦れの音に先生が顔を上げる。
「あっ、あの、お話があるのですが」
 眉間に皺、睨み付けるような眼差しに既視感を覚えて心臓が大きく跳ねた。喉が絞まったように息が苦しい。
「う、ん」
「後でお時間を頂けますかっ」
 勢いが良すぎて語尾が割れた。しまったというようにへにゃりと下がった眉に、思わず笑いが溢れる。くるくると変わる表情は木の上から教室を覗いていた時と同じで、俺にも見せてくれるのかと心が躍った。
「いいよ。待ってる」
「ありがとうございます!!」
 弾けるような笑顔が眩しいなと思った。こんな風に思うのは初めてで、それは彼からこんな顔を向けられた覚えがないからだと気付いた。

 校庭に伸びる校舎の影が少しずつ長くなってゆく。門に寄りかかりながらイチャパラを広げていても、同じ頁をなぞるだけでちっとも頭に入ってこなかった。彼と付き合っていた時はアカデミーへ足を向けることなどなく、外で会う際もそれぞれが直接店へ向かうことが多かったように思う。のんびりと相手を待つとか、あてもなく二人で歩くとか、誰もが当たり前のようにする付き合いはしてこなかった。先生を待ちながら、思い出すのは彼のことばかり。でも、俺が告白したのは先生なのだ。今は彼のことを考えても仕方がない。
 頭の中でどれだけ画策しようとも現実がその通りになるとは限らない。分かってはいるつもりだが、これ以上後悔を増やさない為にやれることはやらなければ。心を決めたはずなのにただ一つ、俺達の関係を伝える決心だけがつかなかった。先生の性格なら、きっと罪悪感を感じてよりを戻してくれるだろうが、本意でなければいずれ破綻が来る。仮初めが真実になると信じて打ち明けるのか、新たな関係を構築するべきか。大きく手を振りながら駆けてくる人が見えてもまだ結論は出なかった。

 緊張を宥めるように何度も唇を舐めて、握りこぶしでゴシゴシと頬を擦る。深く刻まれた眉間の皺をなぞってみたいなと思いながら、先生の準備が整うのを待った。玉砕する覚悟は出来ている。俺にとって重要なのはその先だ。砕け散ったまま終わらせるつもりはさらさらなく、どれだけ細かろうが必ず繋がりを作る。それが確かな物へ変わるまで絶対に諦めない。
「こっ、この間の夜のお話ですが」
「うん」
「お、お受けします」
「え?」
「ふつつか者ですが、よろしくお願いしますっ!!」
 ガバッと下げられた頭の上で黒いしっぽがゆらゆらと揺れている。跳ねる毛先をさわさわと撫でると確かな感触があり、きゅっと摘まむと滑らかな肌触りに全身が震えた。あの夜すり抜けた感触が手の中にある。
「あ、あの、手を……」
 困ったように頭を捻り、上目遣いで見上げてくる。瞳に浮かぶのは恥じらいだけで、嫌悪感は感じられなかった。曲げられた上半身を引っ張り上げてぎゅっと抱きしめる。彼の体温、彼の匂い。伝えようとする言葉を押し込めて、どんどん身体の中に彼が入り込んでくる。
「ありがとう」
 ようやく絞り出せたのは、たった一言。何よりも伝えたかった一言だけだった。
2021/09/02(木) 16:39 三度目の恋でも COMMENT(0)
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