◆各種設定ごった煮注意
解説があるものは先にご確認ください
職業柄、情報に聡いほうだと思ってはいるが、好奇心は別の話だ。好奇心は猫を殺すとどこかの誰かが言ったように、過ぎてしまえば己の身を脅かすものであるとも知っている。
だがしかし。僕にだって、猫になりたい時はある。
にゃあ。
コップの水をひとくち飲んで、さり気なくカウンターを見回す。曲がり道の右と左で迷いなくこちらを選んだのは、一楽に来たかったからだ。当該人物がいたら違う手で攻める必要があったので、不在なのは幸運だったと言えよう。遠慮なくつつくことができる。
「今日はいませんね」
「誰が?」
「イルカ先生ですよ。一楽の前を通ると、しょっちゅうここに座ってるでしょう、あの人」
「ああ。ラーメン好きなんだって」
「さすがナルトの先生ってところですね」
「そうね」
素っ気ない返事のわりに、グラスの壁面を指先が弾いた。開きそうになった口を根性で閉じ、自分の考えに確信をもつ。これは紛う事なきゴーサイン。
「先輩も一緒にラーメン食べてましたよね」
「何で知ってるの」
「そこはそれ」
ふふふと笑うと不愉快そうに眉が上がる。思わず吹き出たであろう聞こえない鼻息に、忍び笑いを水で塞いだ。
「まあね、そういう時もあったね」
「微妙な言い回しですね。まるで、もう無いみたいに」
「無いことは無いかもしれないけど」
「どっちなんですか」
遠慮の無い質問に今度こそ軽い鼻息が聞こえた。こっちは別の意味で鼻息が出そうになる。
「いままでと一緒じゃないかもしれないなって。あの人……」
言葉を切って爪の先でグラスをカチカチ叩く。迷っている気持ちを叩いて呼び寄せるように、数回。迷いの沈黙の先で、ぽつりと力ないひとことが落ちる。
「俺が、勝手なだけ」
なんとも曖昧で、まったく意を汲めない答えが返ってきた。もどかしさに拳を握ったら、カウンターの上にどんとラーメンの丼が置かれた。ほわりと上がる湯気に鼻をくすぐられたのと、隣の人の目線が丼に移ったので腹を決める。
簡単にことが進むのはよろしくない。そういうのは、あとで大体躓くか転ばされることが多いのだ。
仕方がないと割り箸を取り差し出した。まずは腹の虫を収めてからにしよう。
ぽつりぽつりと子どもの話、里の話。挟まれる途切れがちな言葉へ相槌を打ちながら、早くもなく遅くもなくラーメンをすする。
急いてはいけない、引いてもいけない。先輩のタイミングが来るまで焦らずかつ逃がさないように、丼の中身を見ながらスープに沈む麺を見つめる。
椅子から飛び上がりたい尻をなだめ、ぐいんと横を向きそうになる体を押さえながら、早く話せ続きを寄越せとわめく体に水を流し込んで待った。
つんとチャーシューを突いた先輩が箸を置いてグラスを持った。つられて止まりそうになる箸を動かして、気づいてませんよの素振りを取る。
「一楽のラーメン、いつ食べても美味いんだけど」
「ふぁい」
「イルカ先生と食べると錯覚がすごいの。とんでもなく美味しいものを食べてるんじゃないか、みたいなさ。別にいつもと同じものを食べてるだけで、注文を変えたりしてるわけじゃないのに。あの人ラーメンが大ッ好きらしくてさ、美味い美味いって言うからその波状効果、みたいな?」
うんうんと頷く俺に眉が緩む。何をそんなに、と思うのは僕の勝手で、先輩にとっては大きなひとことなのだと、ちょっと背が伸びた。
「こないだね、たまたまイルカ先生とチョウジが話してるとこを見かけた。すっごい嬉しそうですっごく喜んでて、何事かと思ったら、誕生日だって」
「生徒に祝ってもらって、嬉しかったんでしょうね」
「逆」
「逆?」
「誕生日だったのは、チョウジのほう。なのに自分が主役くらいすんごい嬉しそうにニッコニコでさ。まあチョウジも笑顔だったけど。Sランク達成ぐらいの喜びようだったのよ?それが誕生日だって」
信じられるか?とこちらを見た顔は、目尻がゆるりと垂れ下がっている。
いままさに、信じられないものを見た気分ですと言いたい。ぐっと堪えた腹の中でラーメンが踊っている。お前をこよなく愛する人の話だと、分かっているのだろうか。
「なのにさ」
ぐんと下がったトーンに踊るラーメンが静まり返る。先ほどまでの空気が一変し、指先がコップへ伸びた。今度は叩く代わりに、つうっと壁面をなぞる。真横に引かれた線が、汗をかいたグラスを上下に分けた。
「イルカ先生、誕生日なんだって。今日」
「は?今日?え、誕生日?」
「そ」
なのにさ、が繋がらないぞ。それ以前に、気になる相手の誕生日でなぜ不機嫌全開になっているのだこの人は。もしや目前で誰かに掻っ攫われたか。
「それは残念でした」
「なにが」
「忘れてください」
先走り過ぎた。様子の違う先輩に僕も少々動揺しているのかもしれない。落ち着くべく水を含む。
「誕生日って聞いて、お祝いでも言おうかなって。自分のじゃなくてもあんなに嬉しそうだったし、知らない仲でもないでしょ?おめでとうって言って、ラーメンご馳走するのもいいよね、イルカ先生の誕生日なんだから好物の一楽のラーメンくらい、俺がご馳走しても、まあ他に予定がなかったらの話だし、そもそも残業してなきゃってのもあるんだけど、あとタイミング。タイミングが合えば、そこが一番アレだから、タイミングが合って、他の状態がオッケーなら先生も俺とでも誕生日のラーメンを食べてくれるかもしれないし、だから」
うわあ
……うわあ
二回飲み込んだ。えらいな僕。長いしくどいし卑屈!と言わなかったのもえらい。
一緒にラーメン屋のカウンターに座る仲なんだろう?こだわりのない人間なら、もう友達認定されてるだろうに、過剰な反応にちょっとどころでなく全身が……うわあ。まだ続いてる。しかも同じ内容を捏ねくり回して微妙に変えながら。
「タイミングが合わなくて、ということでよろしいでしょうか」
「違う」
すぱんと切ったつもりが返す刀で一刀両断。しかも恋する人間特有の、ある人種には大好物でそれ以外の人間にはじれったさで全身を痒くさせるあのトーンが、急冷して元に戻ってしまった。核心はここからか。
「タイミング、合ったの。奇跡的に。もう上がるわって瞬間に。ちょうど、びっくりなくらいに。カウンターの椅子から鞄を持って立ち上がる瞬間だよ。あり得ないでしょ」
無言で頷き先を促す。いま焦れさせるのはやめろ。こめかみに響く。
「声かけようと思ったよ、もちろん。隣の席の人と話してたから、終わったらだなって思ってね。そしたらその人が、イルカ誕生日おめでとうって」
そこか!目の前で先を越されたのが悔しかったのか。
まあ一緒に住んでるわけでもなく、付き合ってるわけでもない相手に一番におめでとうを言うなんて、結構無茶な話だが。だってそれ、夕方の話ですよね。仕事上がりだろ。
「ああ、先生やっぱりいろんな人に祝われてるんだなあ。そうだよなあって」
違った。
「俺も言えるかな。言ったらあの時みたく笑ってくれるのかなあって、扉の影から受付の中に入ったんだけど、先生眉間に皺寄せて、やめろやめろって」
「え?」
「この年でめでたくないだろー、お前ら酒の肴にするつもりだろうが残念だったなって、こう」
フリフリと雑に手を振る。
受付の様子が目に見えるようだ。おそらく僕が暗部のロッカー室で見るのと似た状況ではないだろうか。男同士の少し面倒だけど照れくさく嬉しい、そんなやり取りに見えるのだが、先輩には凝視していた一部しか見えなかったようだ。
「誕生日、めんどくさいって。おめでとうって言われるのも、はいはいみたいに雑に手を振ってやリ過ごしてるの。チョウジに向けてた笑顔は嘘だったワケ?あんな人だと思わなかった」
気になる相手を包み込む、一番優しく美しく見えたベールがぺらりと剥がれた。
好ましいと思っていた部分は勘違いだったかもしれないと、失望に苛立ち、あと本人は気づいていないだろう嫉妬と羨望だろうな。後半は、自分が見ることのない姿を見せる同僚達に対してのものだが。
ごちゃ混ぜに湧き上がる感情が、裏切られたに収束してしまうのはよくあることだ。理想と期待が大きいだけ、失望も膨れ上がる。
教え子の誕生日に喜んで笑うイルカ先生は、先輩にとって眩しくて大事にすべき存在になってしまったのだろう。早々に打ち砕かれたのはご愁傷様としか言えないが、だ。
ずる、とラーメンをひとくち啜って考える。この落胆ぶり、ひょっとして初恋だろうか。こんなに純粋に裏切られたと感じるあたり、圧倒的な経験の無さがひしひしと伝わってくる。
「えーっと、おめでとうございます」
「は?なに」
「こう、先輩がひとつ大人になった気がするので。新しい自分に出会えておめでとう、みたいな」
「お前馬鹿にしてんの」
困ったな。自慢じゃないが、僕だってそっち方面に明るいとは言えない。イルカ先生への感情を自覚していないようだし、下手に慰めても本人にとっては明後日すぎるだろうと思ったのだが、さすがに婉曲がすぎた。
かといって、あなたは恋をしている!と指摘するのはイヤすぎる。そんなのは自分で気がついてくれ。その過程を見る方が面白いし。
横から伝わるピリピリとした空気と突き刺さる視線。やはり過ぎた好奇心は危険だなあと、ラーメンに浮かぶチャーシューを眺めた。困ったにゃあ。
ふうと首を仰け反らせ、考えを巡らせるように視線を回したら幸運が近づいてきた。
「先輩、お祝いにチャーシュー一枚あげます」
「は?」
「先輩もお祝いしたらどうですか」
「なに言ってんの?」
「こんにちはイルカ先生。お疲れ様です」
「ヤマトさん。お疲れ様です。カカシさんも」
びくんと跳ね上がった肩をそのままに、そーっと先輩が後ろを振り向く。
「イ、 イルカ先生」
「こんにちは、カカシさん」
ペコリと頭を下げて、先輩の隣に座った。壁のメニューを眺めて、なにか考えこんでいる。
「はいどうぞ」
ぽけーっと隣を見ている先輩の丼に、チャーシューを一枚乗せた。
「え、いらない。てかなんなの」
「ですからお祝いですって」
「なにかおめでたいことがあったんですか?」
「ええ。大人の階段を一歩」
「まてまてまて。さっきから何なのソレ。ちっとも意味が分からないし。先生、これコイツの冗談だから本気にしないでくださいね」
「はあ」
「先輩がいらないって言うならイルカ先生にあげようかな」
「え、俺今日誕生日なんですよ。嬉しいな」
「え」
「実は」
へへへっと鼻傷をかいてイルカ先生が笑う。
「……嬉しいの?」
「?はい。もちろん」
「だって、えっ、だって先生」
「お祝いに先輩がラーメン奢るそうなんで、盛り盛りのスペシャル注文してください」
「いいんですか!?」
やった!とピースするイルカ先生を見て、先輩はだらだら汗をかいている。財布が空だと思われたらどうするんだ。難儀な人だな。
「あの、あのね」
「はい」
「うれしい、の?俺が先生のお祝いして、いい?……嬉しい?」
「だってカカシさんからでしょう?」
当たり前ですと、満開の笑顔が先輩を照らす。
背中を向けられていてどんな顔をしているのか見えないのが残念だ。こっちまでとんでもない光量で照らされている気分なのだから、真向かいで向けられている先輩はさぞかしってとこだろう。
さっきまでの空気が嘘のように、さながら冬開けのまばゆい春の日差しのごとし。すごい威力だな。
スペシャルラーメンへの笑顔でしょ、勘違いしてます?って言ってもいいだろうか。
一瞬過ぎった悪い考えは、取り戻したチューシューと一緒に飲み込んだ。ともあれ、無事誕生日を祝えるようでなにより。
「テウチさん。ビールとコップをふ」
「三つな!」
ニカッと笑ったテウチさんがビールを取りに行く。
コップの数を示した二本の指が意味を失った。ぴょこぴょこと少し曲げてみて、もう一度まっすぐ伸ばす。
突然の幸運に固まっている先輩の背中を叩き、ぎぎぎとぎごちなく振り向いた先輩へ、Vサインを突きつけた。
だがしかし。僕にだって、猫になりたい時はある。
にゃあ。
コップの水をひとくち飲んで、さり気なくカウンターを見回す。曲がり道の右と左で迷いなくこちらを選んだのは、一楽に来たかったからだ。当該人物がいたら違う手で攻める必要があったので、不在なのは幸運だったと言えよう。遠慮なくつつくことができる。
「今日はいませんね」
「誰が?」
「イルカ先生ですよ。一楽の前を通ると、しょっちゅうここに座ってるでしょう、あの人」
「ああ。ラーメン好きなんだって」
「さすがナルトの先生ってところですね」
「そうね」
素っ気ない返事のわりに、グラスの壁面を指先が弾いた。開きそうになった口を根性で閉じ、自分の考えに確信をもつ。これは紛う事なきゴーサイン。
「先輩も一緒にラーメン食べてましたよね」
「何で知ってるの」
「そこはそれ」
ふふふと笑うと不愉快そうに眉が上がる。思わず吹き出たであろう聞こえない鼻息に、忍び笑いを水で塞いだ。
「まあね、そういう時もあったね」
「微妙な言い回しですね。まるで、もう無いみたいに」
「無いことは無いかもしれないけど」
「どっちなんですか」
遠慮の無い質問に今度こそ軽い鼻息が聞こえた。こっちは別の意味で鼻息が出そうになる。
「いままでと一緒じゃないかもしれないなって。あの人……」
言葉を切って爪の先でグラスをカチカチ叩く。迷っている気持ちを叩いて呼び寄せるように、数回。迷いの沈黙の先で、ぽつりと力ないひとことが落ちる。
「俺が、勝手なだけ」
なんとも曖昧で、まったく意を汲めない答えが返ってきた。もどかしさに拳を握ったら、カウンターの上にどんとラーメンの丼が置かれた。ほわりと上がる湯気に鼻をくすぐられたのと、隣の人の目線が丼に移ったので腹を決める。
簡単にことが進むのはよろしくない。そういうのは、あとで大体躓くか転ばされることが多いのだ。
仕方がないと割り箸を取り差し出した。まずは腹の虫を収めてからにしよう。
ぽつりぽつりと子どもの話、里の話。挟まれる途切れがちな言葉へ相槌を打ちながら、早くもなく遅くもなくラーメンをすする。
急いてはいけない、引いてもいけない。先輩のタイミングが来るまで焦らずかつ逃がさないように、丼の中身を見ながらスープに沈む麺を見つめる。
椅子から飛び上がりたい尻をなだめ、ぐいんと横を向きそうになる体を押さえながら、早く話せ続きを寄越せとわめく体に水を流し込んで待った。
つんとチャーシューを突いた先輩が箸を置いてグラスを持った。つられて止まりそうになる箸を動かして、気づいてませんよの素振りを取る。
「一楽のラーメン、いつ食べても美味いんだけど」
「ふぁい」
「イルカ先生と食べると錯覚がすごいの。とんでもなく美味しいものを食べてるんじゃないか、みたいなさ。別にいつもと同じものを食べてるだけで、注文を変えたりしてるわけじゃないのに。あの人ラーメンが大ッ好きらしくてさ、美味い美味いって言うからその波状効果、みたいな?」
うんうんと頷く俺に眉が緩む。何をそんなに、と思うのは僕の勝手で、先輩にとっては大きなひとことなのだと、ちょっと背が伸びた。
「こないだね、たまたまイルカ先生とチョウジが話してるとこを見かけた。すっごい嬉しそうですっごく喜んでて、何事かと思ったら、誕生日だって」
「生徒に祝ってもらって、嬉しかったんでしょうね」
「逆」
「逆?」
「誕生日だったのは、チョウジのほう。なのに自分が主役くらいすんごい嬉しそうにニッコニコでさ。まあチョウジも笑顔だったけど。Sランク達成ぐらいの喜びようだったのよ?それが誕生日だって」
信じられるか?とこちらを見た顔は、目尻がゆるりと垂れ下がっている。
いままさに、信じられないものを見た気分ですと言いたい。ぐっと堪えた腹の中でラーメンが踊っている。お前をこよなく愛する人の話だと、分かっているのだろうか。
「なのにさ」
ぐんと下がったトーンに踊るラーメンが静まり返る。先ほどまでの空気が一変し、指先がコップへ伸びた。今度は叩く代わりに、つうっと壁面をなぞる。真横に引かれた線が、汗をかいたグラスを上下に分けた。
「イルカ先生、誕生日なんだって。今日」
「は?今日?え、誕生日?」
「そ」
なのにさ、が繋がらないぞ。それ以前に、気になる相手の誕生日でなぜ不機嫌全開になっているのだこの人は。もしや目前で誰かに掻っ攫われたか。
「それは残念でした」
「なにが」
「忘れてください」
先走り過ぎた。様子の違う先輩に僕も少々動揺しているのかもしれない。落ち着くべく水を含む。
「誕生日って聞いて、お祝いでも言おうかなって。自分のじゃなくてもあんなに嬉しそうだったし、知らない仲でもないでしょ?おめでとうって言って、ラーメンご馳走するのもいいよね、イルカ先生の誕生日なんだから好物の一楽のラーメンくらい、俺がご馳走しても、まあ他に予定がなかったらの話だし、そもそも残業してなきゃってのもあるんだけど、あとタイミング。タイミングが合えば、そこが一番アレだから、タイミングが合って、他の状態がオッケーなら先生も俺とでも誕生日のラーメンを食べてくれるかもしれないし、だから」
うわあ
……うわあ
二回飲み込んだ。えらいな僕。長いしくどいし卑屈!と言わなかったのもえらい。
一緒にラーメン屋のカウンターに座る仲なんだろう?こだわりのない人間なら、もう友達認定されてるだろうに、過剰な反応にちょっとどころでなく全身が……うわあ。まだ続いてる。しかも同じ内容を捏ねくり回して微妙に変えながら。
「タイミングが合わなくて、ということでよろしいでしょうか」
「違う」
すぱんと切ったつもりが返す刀で一刀両断。しかも恋する人間特有の、ある人種には大好物でそれ以外の人間にはじれったさで全身を痒くさせるあのトーンが、急冷して元に戻ってしまった。核心はここからか。
「タイミング、合ったの。奇跡的に。もう上がるわって瞬間に。ちょうど、びっくりなくらいに。カウンターの椅子から鞄を持って立ち上がる瞬間だよ。あり得ないでしょ」
無言で頷き先を促す。いま焦れさせるのはやめろ。こめかみに響く。
「声かけようと思ったよ、もちろん。隣の席の人と話してたから、終わったらだなって思ってね。そしたらその人が、イルカ誕生日おめでとうって」
そこか!目の前で先を越されたのが悔しかったのか。
まあ一緒に住んでるわけでもなく、付き合ってるわけでもない相手に一番におめでとうを言うなんて、結構無茶な話だが。だってそれ、夕方の話ですよね。仕事上がりだろ。
「ああ、先生やっぱりいろんな人に祝われてるんだなあ。そうだよなあって」
違った。
「俺も言えるかな。言ったらあの時みたく笑ってくれるのかなあって、扉の影から受付の中に入ったんだけど、先生眉間に皺寄せて、やめろやめろって」
「え?」
「この年でめでたくないだろー、お前ら酒の肴にするつもりだろうが残念だったなって、こう」
フリフリと雑に手を振る。
受付の様子が目に見えるようだ。おそらく僕が暗部のロッカー室で見るのと似た状況ではないだろうか。男同士の少し面倒だけど照れくさく嬉しい、そんなやり取りに見えるのだが、先輩には凝視していた一部しか見えなかったようだ。
「誕生日、めんどくさいって。おめでとうって言われるのも、はいはいみたいに雑に手を振ってやリ過ごしてるの。チョウジに向けてた笑顔は嘘だったワケ?あんな人だと思わなかった」
気になる相手を包み込む、一番優しく美しく見えたベールがぺらりと剥がれた。
好ましいと思っていた部分は勘違いだったかもしれないと、失望に苛立ち、あと本人は気づいていないだろう嫉妬と羨望だろうな。後半は、自分が見ることのない姿を見せる同僚達に対してのものだが。
ごちゃ混ぜに湧き上がる感情が、裏切られたに収束してしまうのはよくあることだ。理想と期待が大きいだけ、失望も膨れ上がる。
教え子の誕生日に喜んで笑うイルカ先生は、先輩にとって眩しくて大事にすべき存在になってしまったのだろう。早々に打ち砕かれたのはご愁傷様としか言えないが、だ。
ずる、とラーメンをひとくち啜って考える。この落胆ぶり、ひょっとして初恋だろうか。こんなに純粋に裏切られたと感じるあたり、圧倒的な経験の無さがひしひしと伝わってくる。
「えーっと、おめでとうございます」
「は?なに」
「こう、先輩がひとつ大人になった気がするので。新しい自分に出会えておめでとう、みたいな」
「お前馬鹿にしてんの」
困ったな。自慢じゃないが、僕だってそっち方面に明るいとは言えない。イルカ先生への感情を自覚していないようだし、下手に慰めても本人にとっては明後日すぎるだろうと思ったのだが、さすがに婉曲がすぎた。
かといって、あなたは恋をしている!と指摘するのはイヤすぎる。そんなのは自分で気がついてくれ。その過程を見る方が面白いし。
横から伝わるピリピリとした空気と突き刺さる視線。やはり過ぎた好奇心は危険だなあと、ラーメンに浮かぶチャーシューを眺めた。困ったにゃあ。
ふうと首を仰け反らせ、考えを巡らせるように視線を回したら幸運が近づいてきた。
「先輩、お祝いにチャーシュー一枚あげます」
「は?」
「先輩もお祝いしたらどうですか」
「なに言ってんの?」
「こんにちはイルカ先生。お疲れ様です」
「ヤマトさん。お疲れ様です。カカシさんも」
びくんと跳ね上がった肩をそのままに、そーっと先輩が後ろを振り向く。
「イ、 イルカ先生」
「こんにちは、カカシさん」
ペコリと頭を下げて、先輩の隣に座った。壁のメニューを眺めて、なにか考えこんでいる。
「はいどうぞ」
ぽけーっと隣を見ている先輩の丼に、チャーシューを一枚乗せた。
「え、いらない。てかなんなの」
「ですからお祝いですって」
「なにかおめでたいことがあったんですか?」
「ええ。大人の階段を一歩」
「まてまてまて。さっきから何なのソレ。ちっとも意味が分からないし。先生、これコイツの冗談だから本気にしないでくださいね」
「はあ」
「先輩がいらないって言うならイルカ先生にあげようかな」
「え、俺今日誕生日なんですよ。嬉しいな」
「え」
「実は」
へへへっと鼻傷をかいてイルカ先生が笑う。
「……嬉しいの?」
「?はい。もちろん」
「だって、えっ、だって先生」
「お祝いに先輩がラーメン奢るそうなんで、盛り盛りのスペシャル注文してください」
「いいんですか!?」
やった!とピースするイルカ先生を見て、先輩はだらだら汗をかいている。財布が空だと思われたらどうするんだ。難儀な人だな。
「あの、あのね」
「はい」
「うれしい、の?俺が先生のお祝いして、いい?……嬉しい?」
「だってカカシさんからでしょう?」
当たり前ですと、満開の笑顔が先輩を照らす。
背中を向けられていてどんな顔をしているのか見えないのが残念だ。こっちまでとんでもない光量で照らされている気分なのだから、真向かいで向けられている先輩はさぞかしってとこだろう。
さっきまでの空気が嘘のように、さながら冬開けのまばゆい春の日差しのごとし。すごい威力だな。
スペシャルラーメンへの笑顔でしょ、勘違いしてます?って言ってもいいだろうか。
一瞬過ぎった悪い考えは、取り戻したチューシューと一緒に飲み込んだ。ともあれ、無事誕生日を祝えるようでなにより。
「テウチさん。ビールとコップをふ」
「三つな!」
ニカッと笑ったテウチさんがビールを取りに行く。
コップの数を示した二本の指が意味を失った。ぴょこぴょこと少し曲げてみて、もう一度まっすぐ伸ばす。
突然の幸運に固まっている先輩の背中を叩き、ぎぎぎとぎごちなく振り向いた先輩へ、Vサインを突きつけた。
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