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解説があるものは先にご確認ください
異国には、全ての瞬間にあなたを思い、祈るという歌があるそうだ。
あの世では、この世の人間が彼の地の人を想うたびに花が降るのだとか。
すべては愛。なるほどなと思う。
一つ頷いてふるりと頭を振ったら、はらりと薄紅色の花びらがこぼれ落ちた。肩の上に残った一枚を摘まんで鼻に寄せる。甘いような青臭いような匂いが鼻孔をつつき、くしゃみがひとつ。ばっちいな。
お前に花が降るのは愛の証だよ、と俺に告げたのは誰だったか。もう思い出せない。
それほどの時間、はらりはらりと降る愛が俺に注がれているというわけだ。
誰かなんてのは問題でなく、問題ならばこちらのほうだろう。
おーーーい。あんた、誰?
降る花びらに問いかけても、その向こうに誰もいない。
天から降るってんなら、ひょいとお天道様の影から顔を出してくれてもいいんじゃねえのか。漫画とかでよくあるだろ?亡き恩人が微笑んで見下ろしてる的なやつ。
そう思ってしょっちゅう空を見上げたり、出て来いよなんて毒づいてたら、すっかり周りの目が生暖かい温度になっていた。
俺は別に、花降らせじいさんに思いを馳せてるわけじゃねえっつの。むしろ、出て来いやおらあって喧嘩腰のが近い。
正直にぶっちゃけてしまえば怖いだろ。もっとあけすけに言えばちょっとキモチワルイ。誰か分からん人間の何か分からん思いで包まれる俺。どんなホラーだよ。
と、当人は思っている。
冷め切った俺とは違い、周囲はフワフワとしたメルヘンラブ風船が漂っている空気感。あの、ピンク色とか赤色のハート型の風船。もしくはシャボン玉がふよふよしているような世界観。
同じ空間にいるはずなのに俺だけシリアス。半径1メートルを越えると確実に温度が8度は違う、そんな違和感の中で毎日過ごしている。
巷によると愛の花が降るってのは、とんでもなくロマンチックで微笑ましく見守りたくなるような出来事らしい。この空間でマイナスイメージを抱く俺こそが異物。俺自身もラブリーな色に染まることが求められている。
ここにいたって、ようやく知るわけだ。俺はたぶん主人公。現在進行形の、ラブストーリーの、ヒロイン。周囲に染まらずひとりだけホラーやミステリ感を醸し出すことこそ、その証拠である。
ヒロインが適度に明後日の方角を向いてなきゃ、物語が進まないからな。そしてヒーローを突き止めて、エンディングを迎えねば花降りは止まらない。
さて、ハッピーエンドになるか、バッドエンドになるか。主人公がファイティングポーズをとってる現状では、不安しかないと分かってるか?想い人よ。
「贅沢」
びしりと突きつけられた箸の先をこちらの箸でぺいっと避けた。お行儀悪いのは承知の上、それをやってしまうほどいまは気分が悪い。
がるると丼を睨みつけていたら、テウチさんが小皿を横に置いてくれた。
「それ使いなよ、先生」
「すみません。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、ついで落ちてきた花びらがスープに浸る前にキャッチ。そっと小皿へ寄せる。ぺっぺと丼に散る花びらも摘まんで小皿に乗せた。
立ち上がって暖簾をくぐり軽くジャンプ、頭もふりふり。パンパンと全身を叩いて花びらが残ってないか確認してから席へ戻った。
カウンターの上で湯気を上げる丼が健気で、うっすら涙が浮かぶ。
「そこじゃねえ。確実にそこじゃねえぞ。お前ズレてる」
「うるせえ。一楽のラーメンを食べようとした俺に花を降らせるヤツなんか信用できるか」
ひと睨みして麺を思い切りすする。この至福のひとくちを邪魔するヤツに、俺への愛があるとでも?俺の愛を邪魔するヤツが、俺を愛してるワケねえだろうが。
上げ下げされる箸の間から溢れる怨嗟に、隣からはでかいため息が聞こえる。しったこっちゃねえ。
お前が始めたラブストーリーはお前のものであって、俺のものではねえんだよ。
一楽で叫んだ思いは矢の如く里内を走り、俺へ向けられる眼差しに新たな感情が交ざり始めた。
いままでは純粋に、「鈍感なあの子を応援!」な色が強かったが、微妙な曇り具合に憐れみの色が窺える。独り身が長いゆえに恋に疎く、想い人の気持ちを受け止めきれない愛すべき男と認識されていた存在は、新たな属性へと振り分けられたと推察できた。すなわち、恋よりラーメンの鈍感男・降り散る花びらが可哀想な「救いがたきポンコツ」である。
これはちょっと怒ってもいいやつだと思っている。異論は認めない。
心地好いざわめきの中で、向かいからの忍び笑いは一段と胸をくすぐる。にやつく口元をさらに上げて、酒を注いだ。
「我慢いらないです」
「でもさあ」
くくくと堪える笑いにこっちも笑ってしまう。ずるい人だ。俺は不機嫌だったはずなのに。
ちくしょうと飲み干した杯を満たすべく、彼が銚子を手に取った。ありがたく頂戴する。
「で、こっちは?」
メニューを広げるので遠慮なく三つほど指差した。了解と呟く声に、軽く息が漏れる。
しばらく里外を回っていたカカシさんが帰ってきたのは、ほんのついっさっき。俺が受付を出ようとしたのと入れ替わりだった。あとほんの少し出るタイミングが早かったら、すれ違っていただろう。
久々の里にくにゃりと丸まる背中を見て、思わず飲みに誘っていた。疲れているだろうにと己の迂闊さに気づき、あわてて取り消そうとしたがすでに手遅れ。全然と細められた瞳が嬉しそうに頷いたので、心底ホッとした。
馴染みの居酒屋で陣取り、労いつつの向い酒。楽しくないハズがないのだ。
「で?」
「ん?」
「花は?」
「花?」
言われて気がついた。ふるりと頭を振っても落ちてくる物はない。そーっと頭の上を撫でてみたが指先に触れるものはなかった。
「ないですね」
「ふぅん」
そっかと見つめる彼に首を傾げる。
花が降らない。
朝でも昼でも夜でも、時間も場所も関係なく降る花。受付してても授業しててもラーメンを食べていてもかまわず降ってきた花が、降らない。
「気になる?」
「いやー、謎なんですよね。朝っぱらから降ることもあれば、寝てる間に降ることもあったし、不規則な生活してんのかな。ってかそもそも、俺のことを思わなきゃ降らないらしいし、いまは考えてないだけじゃないかと」
「そうかなあ」
ひょいひょいと俺の取り皿に焼き鳥を乗せる。どうもと言ってかじりつく俺を見て、ニコリと笑った。
「美味し?」
「美味い」
うん、と頷いて酒を飲む。カカシさんも食べれとポンポン皿へ置いたから揚げを、どうもと頬張る。
「思ってるよ、ずっと」
「でもいま降ってませんよ」
「うん。でもきっと、思ってる。ずっと思ってるよ、あなたのこと」
そうかなあと首を捻る。一日中相手のことを考えてるなんてあるだろうか。
ひとはみな、忙しい。生きるだけで存在しているだけで、それはもう忙しいのだ。ただ一人、誰かのことだけを考え続けるなんてあり得ない。……生きている人間ならば。
おっと、つい気を抜くとホラーに寄ってしまう。主人公の属性が間違ってるんだろうな。まさにミスキャストとしか言い様がない。
「なにが違うんでしょうか。カカシさんが言う通り、ずっと思ってくれてるとして、降る時と降らない時の違いは」
「んー……、量、とか。たくさんの人の思いが重なったら花が降るってどう?」
「たくさんって……。俺そんなに人気者じゃないですし」
「んーん。先生は気づいてないだけだよ。あなたはたくさんの人に思われてるから、花が降ったって」
言葉を切って酒を含む。降ったっておかしくない、って言おうとしておかしいことに気づいたのだろうか。それは正解ですよカカシさん。フツー花は降らない。
「じゃあ、夜に花が降るのは、俺の夢を見てる人がいたからですかね」
「ふふふ」
「他人事だから笑ってるけど、朝起きて桃色の花びらに包まれてる俺を想像してくださいよ。なかなかなもんですからね」
「あっはっは」
笑うカカシさんに嬉しくなって、カカシさんの皿に残っていたから揚げを自分の口に放り込む。え、という顔をするので大声で笑ってしまった。
俺への想い(愛)が花を降らせる。
いつの間にか定説となってしまったが、実際のところ、誰もそのワケもすべも知らないのだ。
ただ、ある日突然花が降り始め、それがとても美しく儚かったから良い方向へ定めただけの話。
降ってきたのが松ぼっくりやソテツだったら、また話が違っていたと思う。一気にコメディ寄りになるが、それはそれでいいかもしれない。少なくともラブストーリーよりは俺に合っているだろう。
不可思議な現象の真相は、藪の中。そして俺は生きている忙しい人々の一人なので、今日もあくせく働いている。答えの出ない問いを考え続ける余裕はねえわ。
ちなみにいまは、藪の中ではなく書庫の中。まいどお馴染み書庫整理だ。
書庫には本だけでなく巻物や地図もあり、一部魔窟と化している。今日は巻物エリアの片付けをしているが、ここも他エリアと等分にきっちり汚い。
棚に戻さず机に積んであるもの、ゆるっゆるで三割くらい体積が増えてるもの、はては畳んである巻物まで。
おい巻物だぞ?ま・き・も・の!広げたあと、まいっかで適当に畳んで置いてくんじゃねー!
ここにあるものはきちんと制作されたものだけではなく、イケるかも程度の発想でとりあえず形にしてみた術や、なりたて下忍がはちゃめちゃやって偶然出来てしまった術の巻物なんかもある。ようするに、発動するがその条件が不明なもの、解術に手間がかかるものなんかも含まれているのだ。
もっと怖いのは、術が安定していないせいできっちり封印しておかないといつの間にか発動してましたってヤツ。
ある日突然大惨事が……なんて卵が眠ってる可能性は、否定できない。だからこそきっちり管理しておかねばならぬというのに。
マジいい加減ちゃんとしろよ。と、隙あらば飛び出そうな小言をぐっと飲み込みつつ、巻物の山に埋もれひたすら処理している。
崩れた山を積み直し、解けた巻物を巻き直し緩んだ紐を締め、と作業自体は単純なものの、めんどくさいことこの上ない。
「腰が痛い。首が痛い」
「なんか目がしぱしぱするー」
「俺は鼻がムズムズ……」
窓際へ移動しスパンと窓を開ける。さあっと抜ける風が心地よい。
「逃げんなよ?」
「やだなあイルカってば、怖いんだから」
「ちょーっと大変だなあ。って愚痴が出ただけじゃん?」
「だから日頃からきっちり戻せと言ってんだろうが。適当に積むからこうなるんだよ」
「言われた通りやったよ。……二割くらいは」
「そうそう。日進月歩だよ、イルカちゃん。俺達ちゃんと打率は上がってるの」
もうやだ生産性のないこのループ。一人で逃げたろか。
「じゃあ俺、そこの山やるわ!イルカはちょっと休憩な」
不穏な空気を感じ取り、俺がまとめてた巻物の山へスンバが突進する。
「あ、待て。そこはいま崩れやすくって」
慌てて駆け寄ったが遅かった。強引に掬った巻物が山の端を崩し、ついでに隣の列に雪崩を呼び、そのあとは、まあ、うん。
いくつか形成されていた山が、軒並み平地に元通り。そりゃでかいため息も出るってもんだ。
俺のため息に仰け反ったスンバが後ろの書架にぶち当たり、とどめの一本が降ってくる。スンバが咄嗟に出した手は、逆にポンと跳ねるための足場となり、勢いのまま俺の足先へととんできた。
コツンと床に落ちたそれは、コロコロと転がり向かいの書架の下へ潜り込むとぽふんと小さく煙が上がる。
「何だ!?」
「おい、いま何か術が発動したんじゃないのか」
「いや、巻物はきちんと閉じられてたぞ」
よいしょと這いつくばって覗き込めば、書架の下には巻物が二つ。両方掴んで引っ張り出した。
スンバが落としたほうの巻物はしっかり閉じられていたので、しゅるっと広げてみる。
「あー……こいつか」
「知ってんのか」
知ってるもなにも、だ。思い出すと、口がへの字に曲がってしまう。
「世界薔薇色の術だ。世の中の色んなものがランダムで薔薇色になる」
「へー。面白いな」
「これな、薔薇色といいつつかーなりどぎついピンク色なんだよ。お前、びかびかピンクの味噌汁、飲みたい?」
「ん?それって」
くるりと回った目が俺を向く。渋い顔の俺が頷いたら、あー……とみんな黙った。
「そう。前に俺がかかった。いい加減な閉じ方をしてたせいで、ちょっと揺れただけで発動しちゃったんだよ。カカシさんがしっかり閉じ直してくれたから、今回は上から落ちても大丈夫だったな。発動したのはコレじゃない」
もう一本の巻物を両手で持ち直す。淡い桃色に銀がキラキラと散る巻物は綴じ紐が緩く、軽く振っただけでだらりと垂れ下がった。
「花降る彼方の術。初めて聞いたな」
「装丁からして個人開発の術だろ。どれどれ」
頭を寄せ合い覗き込み、みんな沈黙してしまった。
スンバがコホンと咳払いをして、ぴっと人差し指を立てる。
「謎は、すべて、解けた!」
「いや解けてねえわ」
「肝心なところが分かんねえだろ。それに、いまかかったのは誰なんだよ。まあ距離的にイルカ……か」
「ごめんねえ」
へらりと笑うスンバに笑い返し、両頬を思い切り摘まんで引っ張った。
今度は俺が振らせる側かよ。笑えねえわ。
スンバがお詫びに奢るというので、みなで一楽に寄って大盛りラーメンを食べてきた。同じ過ちは繰り返すまいと、見落としがないようにしっかりと片付けられたし、書庫整理にしてはいつにない充実感だ。
一日の終わりに大好きな風呂へ入る。熱めに張った湯に浸かり、満足した腹を撫で回した。
だが、今日はおしまい結果オーライというワケにはいかない。ラーメンを啜りながら、ふと思い出してしまったのだ。
以前、世界薔薇色の術にかかった時は、カカシさんと一緒だった。たしか、大名の孫娘にまだ見たことのない面白い術を見せたいという依頼に、二人で書庫へ行った時だ。
幼い子どもに披露する以上、無害かつこちらがきちんと取り扱えるものでなければならない。瞳術を使うことも考えたが、直接作用するものは除外してくれと言われたから、巻物ならどうかと書庫まで探しに行ったのだ。
あの時もごちゃごちゃした巻物の山があり、見ている間にいくつかコロコロと落ちた覚えがある。運悪く転げた一つが「世界薔薇色の術」で、今日と同じように煙が上がって術が発動した……けど。
世界薔薇色の術は、名前同様に作動時もえらく派手で、ぽぽぽぽんとピンク色の煙が連鎖的に上がる。目の前を覆うピンクの靄に驚いていたが、下のほうでほんの少し白い煙が混ざっていたのを思い出した。
あれが、同じタイミングで発動したもう一つの巻物だとしたら。
書架の下に転がり、派手な煙に紛れたせいで気づかなかった「花降る彼方の術」だったとしたら。
ざぶんと頭まで湯に沈める。ゆっくり十数えて起き上がり、両手で顔を拭った。ゴシゴシと擦りながら、絞りだすような声が出る。
「あああ~…………」
気がついてしまった。
花が降り始めたのは、たしか、あの頃から。
花降る彼方の術は、任務で里外へ出る忍が里人である恋人の為に作った術だ。
里の外へ出てしまえば、帰還するまで恋人の状態は分からない。連絡を取らずとも無事が分かるよう、恋人のことを想うたび花が降るようになっている。
忍としては、遠隔地から実体を出現させる仕組みが気になるところだ。ただ花を見せるだけなら瞳術で可能なのかもしれないが、時間が経つと消失するとはいえ実際に触れることができる花が降る。
開発したのはよほど優秀な忍だったのか、心配性な恋人への愛がとんでもなく強かったのか……………………。
勢いよく顔を湯につけ、思い切り叫んだ。
(ああああああああ~~~~!!)
どちらにしたって明らかなのは、俺に花が降るってこと。
それは、俺を愛する人が俺のことを想っているってこと。
逃げ出すように風呂から上がった。脱衣所へ飛び込み、適当に拭っただけで素っ裸のまま居間へと急ぐ。
これ以上浸かってなんていられない。いま花が降ったら、愛で作られた花びらが浮かんだ湯に入っていることになるのだ。
そんなこと耐えられるか?ましてや、花を作り出しているのは、おそらくほぼ間違いなく……。
持っていたタオルでがしがしと髪の毛を拭く。頭に浮かんだ考えを消してしまうように力をこめて擦ったが、むしろ強くなるばかりだ。
だって困る。俺の考えが合っているのなら、花を降らせるほど俺を想っている人はカカシさんになるのだ。そんなの、困る。
明けて朝。出勤したらまっすぐに受付へ行って、カカシさんの任務を調べた。
いまは任務で里外にいて、帰還予定は三日後だ。
とりあえずほっと胸をなで下ろし、今日の勤務をこなす。
忙しければ余計なことを考える暇はないだろう。
そう思っていたのに、昨日の気づきは頭の端っこでどんと構え、根が生えたように動かない。気づかないフリをしても常に頭の隅にあって、いつの間にかどんどん占める割合が大きくなっているのだ。
これは困る。本当に困る。
カカシさんのことを考えてはいけない。だって、俺も昨日術にかかってしまったのだ。カカシさんのことを考えたらカカシさんに花が降る。任務の内容によっては、それが彼の命取りになるかもしれないのだ。
それだけは絶対に駄目だと思うほど、彼のことが頭に浮かぶ。どうすればいいんだと、休憩を口実に書庫へと逃げ出した。悩みの種である巻物を手に取って開いてみる。
この野郎と眺める目が発動条件で止まった。あらためてゆっくりと読み返す。
発動条件は、対象を愛していること。
肩の力が抜け、深く息を吐いた。
心配などいらなかった。俺は、カカシさんのことが好きだけど、彼と同じ意味で愛しているワケではない。頭を占める想いや心配は、愛は愛でも友愛だ。だからきっと、花は降らないだろう。
一番の懸念は最初から生まれる必要のないものだったと知り、巻物を丁寧に閉じて棚へ戻した。
書庫から戻る足取りが、行きと違って軽い。いらぬ心配をしたと口元が緩んだ目の前に、濃い桃色の花びらが落ちてきた。はらりひらりと舞う花びらを手に取り、少し胸が苦しくなる。
この花びらはどうして降ってきたのだろう。
彼は俺の何を想って、花を降らせるのだろう。
カカシさんが俺を愛していても俺自身の思いは違うのに、彼の気持ちが降ってくる。優しく俺を包むように、いつでもどこにいても。
手のひらに乗せた鮮やかな色が目を刺すので、まぶしさに目が眩む。
逃げるように目を閉じたけれど、目蓋の裏に浮かんだものはどうやって消したらいい?たとえ消せたとしても、手のひらの上で揺れる頼りない感触は残っている。淡い花の香りも。
駄目だ駄目だと縛られた昨日に比べ、時が経つごとに想いが和らぐ。どうしようと慌てる心は、自然とどうしてへと傾いていった。
じっくり構えたところで俺には何も分らないし、なによりも前提として彼の気持ちと俺の気持ちが違う。日常をやり過ごしつつも、時折どうすることもできない行ったり来たりが混ざり合う。
俺に花が降ったとしても、彼に花は降らない。だから。
言い聞かせながら目をつむっても、ふわりと花の香りが漂うとそこには彼の思いがあった。
降り注ぐ花びらを見るたびに考えてしまう。向かい合って酒を飲みながら笑い合う時間は、二人にとって同じだったのだろうか。あなたはたくさんの人に思われてるからと言ったその中に、違う想いの彼が含まれていたのだろうか。
じゃあ何で笑う?どうしてと考えるだけで、俺は胸がつまって苦しくなってしまうのに。
彼が里にいなくて良かった、いや、早く帰ってきてほしい。
だって確かめたいし確かめたくない。
相反する気持ちを抱えて、夕日の落ちかけた道を歩く。カカシさんは帰還予定を二日過ぎてもまだ戻らない。でも、きっと大丈夫。今日も花が降ったから、彼は無事なんだ。
いつもならやきもきしながら過ごす時間を、少しの不安と共に落ち着いて乗り越えられる。この術は、離ればなれになる恋人達を心強くしただろうなと笑みが浮かんだ。
気分を切り替えるように、今日の授業を思い返しながら歩みを早めた。明日もアカデミーの後に受付へ入ることになっている。俺はそれなりに忙しいのだ。
一楽へ寄って帰ろうかなと視線を降った先に、見慣れた人影が見えた。西日を背負う姿はいつもよりさらに猫背で、両手に何かを抱えている。
「カカシさん!おかえりなさ……い……」
駆け寄った俺は彼のまっすぐ正面に立つことになり、思いがけずはっきりと見てしまった。彼が胸の前で作った両手の器には、花びらがささやかな山を作っている。
「イルカ先生、ただいま戻りました。けど、これ。俺に降ってきたんですけど、なんなんでしょう。里で何か流行ってます?」
困ったように言う人を見て言葉が出ない。
散々、俺に言っといて。あれだけ愛だと言ってたくせに、いま自分の手の中にあるものが同じだとは思わない。そんなことってあるか?
「これ、いつ降ってきたんですか」
「ついさっき。帰還が遅れちゃったでしょ。ちょっとゴタついたけどようやく戻ったーと門の前に着いたくらいで、ひらひらと」
「初めてですか?花が降ってきたの」
「ううん。ここ二、三日くらいかな。ほんの数回だけど、突然降ってきたから驚いちゃった。なんだろねこれ」
心底不思議そうに言うので、笑いが溢れる。
彼の手のひらに包まれた花びらは消えてしまいそうなほど小さく、全体は真っ白なのに端がうっすらと淡いピンクに染まっていた。花びらの付け根にほんの少しだけ、淡いピンク色。そんなはずはないと主張するような花びらの色に、そうかと頷く。
カカシさんがいる里で花は降らなかった。
カカシさんに意地っ張りな色の花が降った。
だとしたらこれは、そうなのだ。明らかすぎるほどあからさまに、間違いなくそういうことだと、ヒロインが認めよう。ハッピーエンドの時間が来た。
「先生?どうしたの」
問いかける声に顔を上げれば、緩やかに撓む目が俺を見つめている。優しい眼差しに、俺へ降りそそぐ花びらを思い出した。
彼の手の中の花びらを数枚摘まんで、カカシさんに降らせてみた。はらりゆらりと降り落ちる愛の花弁だ。
困ったように首を傾げる人へ、笑い声を堪えきれなくなった。消えそうな茜色の中に笑い声がとけてゆく。
「愛に埋もれてろ」
次に彼へと降る花は、鮮やかな紅梅色をしているかもしれない。
ここから先はヒロイン交代だなと、胸の中で呟いた。
あの世では、この世の人間が彼の地の人を想うたびに花が降るのだとか。
すべては愛。なるほどなと思う。
一つ頷いてふるりと頭を振ったら、はらりと薄紅色の花びらがこぼれ落ちた。肩の上に残った一枚を摘まんで鼻に寄せる。甘いような青臭いような匂いが鼻孔をつつき、くしゃみがひとつ。ばっちいな。
お前に花が降るのは愛の証だよ、と俺に告げたのは誰だったか。もう思い出せない。
それほどの時間、はらりはらりと降る愛が俺に注がれているというわけだ。
誰かなんてのは問題でなく、問題ならばこちらのほうだろう。
おーーーい。あんた、誰?
降る花びらに問いかけても、その向こうに誰もいない。
天から降るってんなら、ひょいとお天道様の影から顔を出してくれてもいいんじゃねえのか。漫画とかでよくあるだろ?亡き恩人が微笑んで見下ろしてる的なやつ。
そう思ってしょっちゅう空を見上げたり、出て来いよなんて毒づいてたら、すっかり周りの目が生暖かい温度になっていた。
俺は別に、花降らせじいさんに思いを馳せてるわけじゃねえっつの。むしろ、出て来いやおらあって喧嘩腰のが近い。
正直にぶっちゃけてしまえば怖いだろ。もっとあけすけに言えばちょっとキモチワルイ。誰か分からん人間の何か分からん思いで包まれる俺。どんなホラーだよ。
と、当人は思っている。
冷め切った俺とは違い、周囲はフワフワとしたメルヘンラブ風船が漂っている空気感。あの、ピンク色とか赤色のハート型の風船。もしくはシャボン玉がふよふよしているような世界観。
同じ空間にいるはずなのに俺だけシリアス。半径1メートルを越えると確実に温度が8度は違う、そんな違和感の中で毎日過ごしている。
巷によると愛の花が降るってのは、とんでもなくロマンチックで微笑ましく見守りたくなるような出来事らしい。この空間でマイナスイメージを抱く俺こそが異物。俺自身もラブリーな色に染まることが求められている。
ここにいたって、ようやく知るわけだ。俺はたぶん主人公。現在進行形の、ラブストーリーの、ヒロイン。周囲に染まらずひとりだけホラーやミステリ感を醸し出すことこそ、その証拠である。
ヒロインが適度に明後日の方角を向いてなきゃ、物語が進まないからな。そしてヒーローを突き止めて、エンディングを迎えねば花降りは止まらない。
さて、ハッピーエンドになるか、バッドエンドになるか。主人公がファイティングポーズをとってる現状では、不安しかないと分かってるか?想い人よ。
「贅沢」
びしりと突きつけられた箸の先をこちらの箸でぺいっと避けた。お行儀悪いのは承知の上、それをやってしまうほどいまは気分が悪い。
がるると丼を睨みつけていたら、テウチさんが小皿を横に置いてくれた。
「それ使いなよ、先生」
「すみません。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、ついで落ちてきた花びらがスープに浸る前にキャッチ。そっと小皿へ寄せる。ぺっぺと丼に散る花びらも摘まんで小皿に乗せた。
立ち上がって暖簾をくぐり軽くジャンプ、頭もふりふり。パンパンと全身を叩いて花びらが残ってないか確認してから席へ戻った。
カウンターの上で湯気を上げる丼が健気で、うっすら涙が浮かぶ。
「そこじゃねえ。確実にそこじゃねえぞ。お前ズレてる」
「うるせえ。一楽のラーメンを食べようとした俺に花を降らせるヤツなんか信用できるか」
ひと睨みして麺を思い切りすする。この至福のひとくちを邪魔するヤツに、俺への愛があるとでも?俺の愛を邪魔するヤツが、俺を愛してるワケねえだろうが。
上げ下げされる箸の間から溢れる怨嗟に、隣からはでかいため息が聞こえる。しったこっちゃねえ。
お前が始めたラブストーリーはお前のものであって、俺のものではねえんだよ。
一楽で叫んだ思いは矢の如く里内を走り、俺へ向けられる眼差しに新たな感情が交ざり始めた。
いままでは純粋に、「鈍感なあの子を応援!」な色が強かったが、微妙な曇り具合に憐れみの色が窺える。独り身が長いゆえに恋に疎く、想い人の気持ちを受け止めきれない愛すべき男と認識されていた存在は、新たな属性へと振り分けられたと推察できた。すなわち、恋よりラーメンの鈍感男・降り散る花びらが可哀想な「救いがたきポンコツ」である。
これはちょっと怒ってもいいやつだと思っている。異論は認めない。
心地好いざわめきの中で、向かいからの忍び笑いは一段と胸をくすぐる。にやつく口元をさらに上げて、酒を注いだ。
「我慢いらないです」
「でもさあ」
くくくと堪える笑いにこっちも笑ってしまう。ずるい人だ。俺は不機嫌だったはずなのに。
ちくしょうと飲み干した杯を満たすべく、彼が銚子を手に取った。ありがたく頂戴する。
「で、こっちは?」
メニューを広げるので遠慮なく三つほど指差した。了解と呟く声に、軽く息が漏れる。
しばらく里外を回っていたカカシさんが帰ってきたのは、ほんのついっさっき。俺が受付を出ようとしたのと入れ替わりだった。あとほんの少し出るタイミングが早かったら、すれ違っていただろう。
久々の里にくにゃりと丸まる背中を見て、思わず飲みに誘っていた。疲れているだろうにと己の迂闊さに気づき、あわてて取り消そうとしたがすでに手遅れ。全然と細められた瞳が嬉しそうに頷いたので、心底ホッとした。
馴染みの居酒屋で陣取り、労いつつの向い酒。楽しくないハズがないのだ。
「で?」
「ん?」
「花は?」
「花?」
言われて気がついた。ふるりと頭を振っても落ちてくる物はない。そーっと頭の上を撫でてみたが指先に触れるものはなかった。
「ないですね」
「ふぅん」
そっかと見つめる彼に首を傾げる。
花が降らない。
朝でも昼でも夜でも、時間も場所も関係なく降る花。受付してても授業しててもラーメンを食べていてもかまわず降ってきた花が、降らない。
「気になる?」
「いやー、謎なんですよね。朝っぱらから降ることもあれば、寝てる間に降ることもあったし、不規則な生活してんのかな。ってかそもそも、俺のことを思わなきゃ降らないらしいし、いまは考えてないだけじゃないかと」
「そうかなあ」
ひょいひょいと俺の取り皿に焼き鳥を乗せる。どうもと言ってかじりつく俺を見て、ニコリと笑った。
「美味し?」
「美味い」
うん、と頷いて酒を飲む。カカシさんも食べれとポンポン皿へ置いたから揚げを、どうもと頬張る。
「思ってるよ、ずっと」
「でもいま降ってませんよ」
「うん。でもきっと、思ってる。ずっと思ってるよ、あなたのこと」
そうかなあと首を捻る。一日中相手のことを考えてるなんてあるだろうか。
ひとはみな、忙しい。生きるだけで存在しているだけで、それはもう忙しいのだ。ただ一人、誰かのことだけを考え続けるなんてあり得ない。……生きている人間ならば。
おっと、つい気を抜くとホラーに寄ってしまう。主人公の属性が間違ってるんだろうな。まさにミスキャストとしか言い様がない。
「なにが違うんでしょうか。カカシさんが言う通り、ずっと思ってくれてるとして、降る時と降らない時の違いは」
「んー……、量、とか。たくさんの人の思いが重なったら花が降るってどう?」
「たくさんって……。俺そんなに人気者じゃないですし」
「んーん。先生は気づいてないだけだよ。あなたはたくさんの人に思われてるから、花が降ったって」
言葉を切って酒を含む。降ったっておかしくない、って言おうとしておかしいことに気づいたのだろうか。それは正解ですよカカシさん。フツー花は降らない。
「じゃあ、夜に花が降るのは、俺の夢を見てる人がいたからですかね」
「ふふふ」
「他人事だから笑ってるけど、朝起きて桃色の花びらに包まれてる俺を想像してくださいよ。なかなかなもんですからね」
「あっはっは」
笑うカカシさんに嬉しくなって、カカシさんの皿に残っていたから揚げを自分の口に放り込む。え、という顔をするので大声で笑ってしまった。
俺への想い(愛)が花を降らせる。
いつの間にか定説となってしまったが、実際のところ、誰もそのワケもすべも知らないのだ。
ただ、ある日突然花が降り始め、それがとても美しく儚かったから良い方向へ定めただけの話。
降ってきたのが松ぼっくりやソテツだったら、また話が違っていたと思う。一気にコメディ寄りになるが、それはそれでいいかもしれない。少なくともラブストーリーよりは俺に合っているだろう。
不可思議な現象の真相は、藪の中。そして俺は生きている忙しい人々の一人なので、今日もあくせく働いている。答えの出ない問いを考え続ける余裕はねえわ。
ちなみにいまは、藪の中ではなく書庫の中。まいどお馴染み書庫整理だ。
書庫には本だけでなく巻物や地図もあり、一部魔窟と化している。今日は巻物エリアの片付けをしているが、ここも他エリアと等分にきっちり汚い。
棚に戻さず机に積んであるもの、ゆるっゆるで三割くらい体積が増えてるもの、はては畳んである巻物まで。
おい巻物だぞ?ま・き・も・の!広げたあと、まいっかで適当に畳んで置いてくんじゃねー!
ここにあるものはきちんと制作されたものだけではなく、イケるかも程度の発想でとりあえず形にしてみた術や、なりたて下忍がはちゃめちゃやって偶然出来てしまった術の巻物なんかもある。ようするに、発動するがその条件が不明なもの、解術に手間がかかるものなんかも含まれているのだ。
もっと怖いのは、術が安定していないせいできっちり封印しておかないといつの間にか発動してましたってヤツ。
ある日突然大惨事が……なんて卵が眠ってる可能性は、否定できない。だからこそきっちり管理しておかねばならぬというのに。
マジいい加減ちゃんとしろよ。と、隙あらば飛び出そうな小言をぐっと飲み込みつつ、巻物の山に埋もれひたすら処理している。
崩れた山を積み直し、解けた巻物を巻き直し緩んだ紐を締め、と作業自体は単純なものの、めんどくさいことこの上ない。
「腰が痛い。首が痛い」
「なんか目がしぱしぱするー」
「俺は鼻がムズムズ……」
窓際へ移動しスパンと窓を開ける。さあっと抜ける風が心地よい。
「逃げんなよ?」
「やだなあイルカってば、怖いんだから」
「ちょーっと大変だなあ。って愚痴が出ただけじゃん?」
「だから日頃からきっちり戻せと言ってんだろうが。適当に積むからこうなるんだよ」
「言われた通りやったよ。……二割くらいは」
「そうそう。日進月歩だよ、イルカちゃん。俺達ちゃんと打率は上がってるの」
もうやだ生産性のないこのループ。一人で逃げたろか。
「じゃあ俺、そこの山やるわ!イルカはちょっと休憩な」
不穏な空気を感じ取り、俺がまとめてた巻物の山へスンバが突進する。
「あ、待て。そこはいま崩れやすくって」
慌てて駆け寄ったが遅かった。強引に掬った巻物が山の端を崩し、ついでに隣の列に雪崩を呼び、そのあとは、まあ、うん。
いくつか形成されていた山が、軒並み平地に元通り。そりゃでかいため息も出るってもんだ。
俺のため息に仰け反ったスンバが後ろの書架にぶち当たり、とどめの一本が降ってくる。スンバが咄嗟に出した手は、逆にポンと跳ねるための足場となり、勢いのまま俺の足先へととんできた。
コツンと床に落ちたそれは、コロコロと転がり向かいの書架の下へ潜り込むとぽふんと小さく煙が上がる。
「何だ!?」
「おい、いま何か術が発動したんじゃないのか」
「いや、巻物はきちんと閉じられてたぞ」
よいしょと這いつくばって覗き込めば、書架の下には巻物が二つ。両方掴んで引っ張り出した。
スンバが落としたほうの巻物はしっかり閉じられていたので、しゅるっと広げてみる。
「あー……こいつか」
「知ってんのか」
知ってるもなにも、だ。思い出すと、口がへの字に曲がってしまう。
「世界薔薇色の術だ。世の中の色んなものがランダムで薔薇色になる」
「へー。面白いな」
「これな、薔薇色といいつつかーなりどぎついピンク色なんだよ。お前、びかびかピンクの味噌汁、飲みたい?」
「ん?それって」
くるりと回った目が俺を向く。渋い顔の俺が頷いたら、あー……とみんな黙った。
「そう。前に俺がかかった。いい加減な閉じ方をしてたせいで、ちょっと揺れただけで発動しちゃったんだよ。カカシさんがしっかり閉じ直してくれたから、今回は上から落ちても大丈夫だったな。発動したのはコレじゃない」
もう一本の巻物を両手で持ち直す。淡い桃色に銀がキラキラと散る巻物は綴じ紐が緩く、軽く振っただけでだらりと垂れ下がった。
「花降る彼方の術。初めて聞いたな」
「装丁からして個人開発の術だろ。どれどれ」
頭を寄せ合い覗き込み、みんな沈黙してしまった。
スンバがコホンと咳払いをして、ぴっと人差し指を立てる。
「謎は、すべて、解けた!」
「いや解けてねえわ」
「肝心なところが分かんねえだろ。それに、いまかかったのは誰なんだよ。まあ距離的にイルカ……か」
「ごめんねえ」
へらりと笑うスンバに笑い返し、両頬を思い切り摘まんで引っ張った。
今度は俺が振らせる側かよ。笑えねえわ。
スンバがお詫びに奢るというので、みなで一楽に寄って大盛りラーメンを食べてきた。同じ過ちは繰り返すまいと、見落としがないようにしっかりと片付けられたし、書庫整理にしてはいつにない充実感だ。
一日の終わりに大好きな風呂へ入る。熱めに張った湯に浸かり、満足した腹を撫で回した。
だが、今日はおしまい結果オーライというワケにはいかない。ラーメンを啜りながら、ふと思い出してしまったのだ。
以前、世界薔薇色の術にかかった時は、カカシさんと一緒だった。たしか、大名の孫娘にまだ見たことのない面白い術を見せたいという依頼に、二人で書庫へ行った時だ。
幼い子どもに披露する以上、無害かつこちらがきちんと取り扱えるものでなければならない。瞳術を使うことも考えたが、直接作用するものは除外してくれと言われたから、巻物ならどうかと書庫まで探しに行ったのだ。
あの時もごちゃごちゃした巻物の山があり、見ている間にいくつかコロコロと落ちた覚えがある。運悪く転げた一つが「世界薔薇色の術」で、今日と同じように煙が上がって術が発動した……けど。
世界薔薇色の術は、名前同様に作動時もえらく派手で、ぽぽぽぽんとピンク色の煙が連鎖的に上がる。目の前を覆うピンクの靄に驚いていたが、下のほうでほんの少し白い煙が混ざっていたのを思い出した。
あれが、同じタイミングで発動したもう一つの巻物だとしたら。
書架の下に転がり、派手な煙に紛れたせいで気づかなかった「花降る彼方の術」だったとしたら。
ざぶんと頭まで湯に沈める。ゆっくり十数えて起き上がり、両手で顔を拭った。ゴシゴシと擦りながら、絞りだすような声が出る。
「あああ~…………」
気がついてしまった。
花が降り始めたのは、たしか、あの頃から。
花降る彼方の術は、任務で里外へ出る忍が里人である恋人の為に作った術だ。
里の外へ出てしまえば、帰還するまで恋人の状態は分からない。連絡を取らずとも無事が分かるよう、恋人のことを想うたび花が降るようになっている。
忍としては、遠隔地から実体を出現させる仕組みが気になるところだ。ただ花を見せるだけなら瞳術で可能なのかもしれないが、時間が経つと消失するとはいえ実際に触れることができる花が降る。
開発したのはよほど優秀な忍だったのか、心配性な恋人への愛がとんでもなく強かったのか……………………。
勢いよく顔を湯につけ、思い切り叫んだ。
(ああああああああ~~~~!!)
どちらにしたって明らかなのは、俺に花が降るってこと。
それは、俺を愛する人が俺のことを想っているってこと。
逃げ出すように風呂から上がった。脱衣所へ飛び込み、適当に拭っただけで素っ裸のまま居間へと急ぐ。
これ以上浸かってなんていられない。いま花が降ったら、愛で作られた花びらが浮かんだ湯に入っていることになるのだ。
そんなこと耐えられるか?ましてや、花を作り出しているのは、おそらくほぼ間違いなく……。
持っていたタオルでがしがしと髪の毛を拭く。頭に浮かんだ考えを消してしまうように力をこめて擦ったが、むしろ強くなるばかりだ。
だって困る。俺の考えが合っているのなら、花を降らせるほど俺を想っている人はカカシさんになるのだ。そんなの、困る。
明けて朝。出勤したらまっすぐに受付へ行って、カカシさんの任務を調べた。
いまは任務で里外にいて、帰還予定は三日後だ。
とりあえずほっと胸をなで下ろし、今日の勤務をこなす。
忙しければ余計なことを考える暇はないだろう。
そう思っていたのに、昨日の気づきは頭の端っこでどんと構え、根が生えたように動かない。気づかないフリをしても常に頭の隅にあって、いつの間にかどんどん占める割合が大きくなっているのだ。
これは困る。本当に困る。
カカシさんのことを考えてはいけない。だって、俺も昨日術にかかってしまったのだ。カカシさんのことを考えたらカカシさんに花が降る。任務の内容によっては、それが彼の命取りになるかもしれないのだ。
それだけは絶対に駄目だと思うほど、彼のことが頭に浮かぶ。どうすればいいんだと、休憩を口実に書庫へと逃げ出した。悩みの種である巻物を手に取って開いてみる。
この野郎と眺める目が発動条件で止まった。あらためてゆっくりと読み返す。
発動条件は、対象を愛していること。
肩の力が抜け、深く息を吐いた。
心配などいらなかった。俺は、カカシさんのことが好きだけど、彼と同じ意味で愛しているワケではない。頭を占める想いや心配は、愛は愛でも友愛だ。だからきっと、花は降らないだろう。
一番の懸念は最初から生まれる必要のないものだったと知り、巻物を丁寧に閉じて棚へ戻した。
書庫から戻る足取りが、行きと違って軽い。いらぬ心配をしたと口元が緩んだ目の前に、濃い桃色の花びらが落ちてきた。はらりひらりと舞う花びらを手に取り、少し胸が苦しくなる。
この花びらはどうして降ってきたのだろう。
彼は俺の何を想って、花を降らせるのだろう。
カカシさんが俺を愛していても俺自身の思いは違うのに、彼の気持ちが降ってくる。優しく俺を包むように、いつでもどこにいても。
手のひらに乗せた鮮やかな色が目を刺すので、まぶしさに目が眩む。
逃げるように目を閉じたけれど、目蓋の裏に浮かんだものはどうやって消したらいい?たとえ消せたとしても、手のひらの上で揺れる頼りない感触は残っている。淡い花の香りも。
駄目だ駄目だと縛られた昨日に比べ、時が経つごとに想いが和らぐ。どうしようと慌てる心は、自然とどうしてへと傾いていった。
じっくり構えたところで俺には何も分らないし、なによりも前提として彼の気持ちと俺の気持ちが違う。日常をやり過ごしつつも、時折どうすることもできない行ったり来たりが混ざり合う。
俺に花が降ったとしても、彼に花は降らない。だから。
言い聞かせながら目をつむっても、ふわりと花の香りが漂うとそこには彼の思いがあった。
降り注ぐ花びらを見るたびに考えてしまう。向かい合って酒を飲みながら笑い合う時間は、二人にとって同じだったのだろうか。あなたはたくさんの人に思われてるからと言ったその中に、違う想いの彼が含まれていたのだろうか。
じゃあ何で笑う?どうしてと考えるだけで、俺は胸がつまって苦しくなってしまうのに。
彼が里にいなくて良かった、いや、早く帰ってきてほしい。
だって確かめたいし確かめたくない。
相反する気持ちを抱えて、夕日の落ちかけた道を歩く。カカシさんは帰還予定を二日過ぎてもまだ戻らない。でも、きっと大丈夫。今日も花が降ったから、彼は無事なんだ。
いつもならやきもきしながら過ごす時間を、少しの不安と共に落ち着いて乗り越えられる。この術は、離ればなれになる恋人達を心強くしただろうなと笑みが浮かんだ。
気分を切り替えるように、今日の授業を思い返しながら歩みを早めた。明日もアカデミーの後に受付へ入ることになっている。俺はそれなりに忙しいのだ。
一楽へ寄って帰ろうかなと視線を降った先に、見慣れた人影が見えた。西日を背負う姿はいつもよりさらに猫背で、両手に何かを抱えている。
「カカシさん!おかえりなさ……い……」
駆け寄った俺は彼のまっすぐ正面に立つことになり、思いがけずはっきりと見てしまった。彼が胸の前で作った両手の器には、花びらがささやかな山を作っている。
「イルカ先生、ただいま戻りました。けど、これ。俺に降ってきたんですけど、なんなんでしょう。里で何か流行ってます?」
困ったように言う人を見て言葉が出ない。
散々、俺に言っといて。あれだけ愛だと言ってたくせに、いま自分の手の中にあるものが同じだとは思わない。そんなことってあるか?
「これ、いつ降ってきたんですか」
「ついさっき。帰還が遅れちゃったでしょ。ちょっとゴタついたけどようやく戻ったーと門の前に着いたくらいで、ひらひらと」
「初めてですか?花が降ってきたの」
「ううん。ここ二、三日くらいかな。ほんの数回だけど、突然降ってきたから驚いちゃった。なんだろねこれ」
心底不思議そうに言うので、笑いが溢れる。
彼の手のひらに包まれた花びらは消えてしまいそうなほど小さく、全体は真っ白なのに端がうっすらと淡いピンクに染まっていた。花びらの付け根にほんの少しだけ、淡いピンク色。そんなはずはないと主張するような花びらの色に、そうかと頷く。
カカシさんがいる里で花は降らなかった。
カカシさんに意地っ張りな色の花が降った。
だとしたらこれは、そうなのだ。明らかすぎるほどあからさまに、間違いなくそういうことだと、ヒロインが認めよう。ハッピーエンドの時間が来た。
「先生?どうしたの」
問いかける声に顔を上げれば、緩やかに撓む目が俺を見つめている。優しい眼差しに、俺へ降りそそぐ花びらを思い出した。
彼の手の中の花びらを数枚摘まんで、カカシさんに降らせてみた。はらりゆらりと降り落ちる愛の花弁だ。
困ったように首を傾げる人へ、笑い声を堪えきれなくなった。消えそうな茜色の中に笑い声がとけてゆく。
「愛に埋もれてろ」
次に彼へと降る花は、鮮やかな紅梅色をしているかもしれない。
ここから先はヒロイン交代だなと、胸の中で呟いた。
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