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 夜空を流れる雲の早さに風の強さを知る。丸く光っている月は顔を出したり隠したり忙しない。退屈はしないけれど、くるくる変わる空が自分の気持ちのようでなんとなく嫌だ。
 苦痛を伴う出来事は、理由が分からないのを良いことに意識の底へと追いやられた。思考の渦から離脱させ曖昧なまま薄れてゆくはずだったのに、ここにきて自らの過ちが招いた事態だと認めなければならないなんて。
 カカシさんを信じたかった気持ちはある。彼はそんな人ではないはずだと何度も思った。だけど、心の奥底でやはりと喜ぶ声を覆うように、ようやく押し込めたのだという苛立ちと自分の非を認めたくない気持ちが暴れ回る。

 あっちはそんなつもり無かったと思っているかもしれない。でも俺だってそんなことは知らなかった。

 責を半分ずつと割り切るにはつけられた傷が深すぎる。だけど、と引っかかるのはまたしても自分の失態がチラつくからだ。
 カカシさんは一度背を向けたのに、ニシキギから逃げようとする俺を助けてくれた。離れようとしていた彼が俺へ手を伸ばしてくれたように、俺もカカシさんへ向き合う必要があるんじゃないだろうか。俺自身、あれが本当の彼だと信じている。少なくとも、知りたかった答えを知ってしまった分は誠実であるべきだろう。ぶつけられた「何故」を、誰よりも知りたかったのは向こうかもしれないのだ。
 今となっては一方的に彼を責めるつもりなどないけれど、体の反応はそれとは別の話だ。すっと全身の血が下がり指先が冷たくなる感覚は、恐怖から訪れるのだと気づいている。平静でいられることに安心していても、ちょっとした動きや目線であの夜が甦り、動揺が収まらない。
 時を待てば良くなるだろうとは思う。ただ俺達が潤沢な時間を持っているのかと言えばそうではなく、向き合うのならなるべく早く、植え付けられた恐怖や痛みをなんとかしなければ。
「先生?」
 驚いた声に月から目を移す。立ち止まったまま近寄らないのがカカシさんの意思だ。あなたにも俺にも責があるのなら、その距離に甘えさせてもらおうと思った。

 背を預けていたドアから体を起こし向かい合う。驚きは感じられても拒絶は無く、これなら受け入れてもらえるかもしれないと希望が湧いた。だがまずは、あの夜の話を。始まりはそこだ。
「こんばんは。待ち伏せしてすみません。お話があるので少しお時間を頂けませんか」
「俺に?」
「はい」
「……あなたの問いかけに答えられた覚えはない。それでもする?」
「だからこそ、って言ったら拒否されますか」
 探るような視線を真っ直ぐ受け止める。いまの俺には荒療治も必要だと覚悟してきた。初っ端から逃げ出していては話にならないのだ。未知は恐怖を増大させるが、理由を知った以上、目の前の人に恐怖を感じる必要はない。
「中へどうぞ、って言いたい所だけどやめた方がいいでしょう。少し歩くよ」
「はい」
 先を行く背中を追いかける。隣に並ぼうとまでは思えなかった。



 人気のない場所を選ぶと思っていたので予想通りではある。愉快な場所では無かったが、贅沢を言える立場でも無い。わざとか、と考えるのは穿ち過ぎだろうか。
 高台の広場は今夜も静かだ。さっきよりも月が近い。月の周りには強い風が吹いているようなのに、ここは凪いでいて不思議に感じる。距離が出来てしまえばこうも違ってしまうのか。
「先生」
 ぽんと投げられた缶コーヒーを受け取った。
「何も無いってのも、話しにくいだろうし」
「どうも」
 カカシさんは自分の分も買って自販機に寄りかかる。組んだ両手の中でゆっくりと缶を転がしながら唇を舐めた。手の中の温もりが緊張を和らげてくれる気がする。
「ウコギ上忍にお会いして聞きました。カカシさんはご存知だったんですか。あの、飴のことを」
「知らなかったよ。でもまあ……、今は分かってる。あの橙色は馬銭の実になぞらえてるんだって」
「悪趣味な」
「見えてる分だけいいんじゃないの。隠されてるものは分からない」
「俺は、ヒントをもらってたのに気づきませんでした。調べれば分かったはずなのに、そこにさえ至らなかった。すみません」
「どうして先生が謝るの。被害者はあなたの方でしょう。ここで殴りかかられても文句は言えない」
「確かに、カカシさん、がしたことは、」
 リズムが乱れて手の中から温もりがこぼれ落ちた。地面にぶつかった缶コーヒーが鈍い音を立てる。ゴロゴロと転がってゆく缶はカカシさんのサンダルにぶつかって止まった。ぽかりと空いた手の中がいやに冷えて、今にも指先が震え出しそうな予感に唾を飲み込む。まだ途中だ。終われない。
「言わなくていい。……言わなくても分かるし。もう無理に話さなくてもいいんじゃないの。顔を合わせなくてもやっていけるって、あなたにも分かったでしょうに」
 静かな声は缶を開ける高い音に掻き消された。ぐっと一息に流し込むと空き缶をゴミ箱へ投げ捨てて、足元の缶も拾い上げて投げ込んだ。俺の手から転がった缶コーヒーまで。
 まだ開けてもいないのに。

 ゴミ箱へと向けられた体はこちらを向きそうになく、切り上げようとする空気に一歩前へ出た。もう一歩、二歩。思い切り手を伸ばせば届く距離にまで、彼の背中が近い。
「カカシさんは、それでもいいんですか。俺はあなたを友人だと思ってました。一緒に話したり飲んだりした時間は、すごく楽しかった。全部切り捨てたいとは思いません」
「だとしても、元に戻るのは無理だ。背中越しでも声が震えてるって分かる」
「それは、…………寒いから」
「下手な言い訳」
 自分でも分かってる。頭では理解したつもりでいても体が拒絶していた。実際に傷をつけられたのはこちらだと主張され、コントロールしきれない。だからといって引いてしまえばお終いだ。声が震えても背中へ話し続けなければ、次は背中さえ見られなくなる気がする。
「俺のことが嫌になりましたか」
「何故?」
「自分が原因だということにも気付けずあなたを責めました。被害者面をして怯えたり騒いだり、しかも同じ過ちを繰り返しそうになったりして、もう関わりたくないと」
「それは全部、俺があなたを傷つけたせいです。やめてください。聞きたくも無い」
 固い口調は否定のしようがないほどに頑なで、そっけない。拒むような姿に含まれる意味は汲み取れたと思う。今までの記憶と彼が保つ距離が味方をしてくれるから、思い切って言い出すことが出来た。
「薬のせいで壊れた関係を惜しむなら、試してみませんか。カカシさんが今までを大切に思ってくれるのなら、俺に付き合ってください。また一緒に飲みましょう」
 愚かな申し出だと分かっている。自分から擦り寄るような真似を出来るほど癒えたわけでもない。カカシさんは俺を拒絶しないだけで、歓迎しているわけでもないだろう。二人の間には、今の俺達を表しているような曖昧さと痛々しさが漂っている。
 ひしひしと感じるそれを見ないことにして、やってみようと持ちかけられるのは俺しかいない。同じように友人としての付き合いを惜しんでいたとしても、あちらからは言い出せないだろう。
 過ちの種をまいた俺が、まず前に出た。応えてくれるだろうかと見つめる背中がゆっくりと動き、僅かに顔がこちらを向く。
「……あなたが望むなら」
「良かった!」
 笑えた。カカシさんの返事が嬉しくて、また元に戻れる可能性を信じたくて、自然に笑顔になった。次に月を見上げるときは隣に立てるようになりたいと思う。カカシさんも同じ思いであるといい。



 時計の針を睨み付けるなんていつ以来だろう。毎日変わらず進むはずの針が、今日だけはやけに遅く感じた。緊張や期待、恐怖までがない交ぜになって体中をぐるぐる巡る。
 やってしまえばたいしたことではなくとも、いざ飛び込むまでの恐怖はいつだって大きい。初めて印を結んだ時も、試験や任務も、初めての授業だってそうだった。始まってしまえば、何故あれほど気負っていたのかと思うこともたくさんある。きっと今回もその一部になるだろうと思っているし、そうあって欲しい。俺は彼と過ごす時間を、自分が感じていたよりもずっと気に入っていたようだ。
 すぐに飛び出せるよう回ってきた仕事は出来る限りの早さで片付ける。手元を空にして、長い針が真上を指すと同時に鞄を持って立ち上がった。誰も並んでいなくて助かったと、手早く周りに挨拶をして受付を飛び出す。
 しばらくは素通りしていたいつもの場所へ向かって駆け出した。足が弾み体が軽い。混ざり合った感情は、良い方が多く出ている。軽い興奮があっという間にいつもの待ち合わせ場所へ連れて行った。
 ベンチに座って本を読む姿は、記憶の中とぴったり重なる。カカシさんはちゃんと来てくれた。胸が熱く感じ足を緩める。走っている間は感じなかったのに、急に心臓の音を煩く感じた。
 少し収まってからと思っていたが、跳ねる心臓を無視して足は勝手に歩き出す。乱れた呼吸だけでも整えたかったのにもう目の前だ。
「お疲れ様」
「お待たせしました」
「いーえ。全然。行こうか」
 話してはいなかったけれど、行く店は決めていた。当然というように進む背中の後をついて行く。どこへ行くのかなんて聞かない。カカシさんだって同じ店を思い浮かべている。きっと。

 馴染みの居酒屋はすでにそこそこの人数で埋まっていた。隅のテーブルでも周りの賑やかさが流れ込んでくる。いつもは奥の個室に入ってしまうので気にしていなかったが、この時間ならこんなものか。とりあえずとビールを頼み、メニューを覗きこむ。
「テーブル席は初めてですね。びっくりさせちゃったみたいですよ」
「うん。でも奥はちょっとね。空いてて良かった」
 カカシさんにとってはここよりも奥の個室がいいに決まってる。それでもこっちを選んでくれたのは、きっと俺への配慮だ。待ち合わせ場所で俺を待たずに歩き出したのも同じ。一方的に頼み込んだ約束を、最大限の配慮で守ってくれるらしい。
 一つ一つの動きが、まるで友人に戻っても良いという証に見える。彼自身も今までの時間と関係を好ましいと認めているから無理がないのだろう。
 俺が信じて踏み出した足元は間違っていないとカカシさんが教えてくれる。数日前とは確実に違う道を歩んでいるようだ。どうかその先が望む方へ繋がっていますように。
 お互いの前に置かれたビールのグラスを持って軽く合わせた。

「何か頼もうか」
「いえ、まだありますし」
 はは、と笑って小さく切った出し巻きを口に運ぶ。出汁がたっぷり入っていて、断面が溢れそうなくらいゆるゆるの出し巻きはこの店の名物だ。あまりに美味くて一人で一皿食べたいと思うこともあった。いつもならざっくり半分に割って大口に放り込んでいた好物は、皿の上でちみちみと削り取られている。小さな欠片ですら飲み込むのに一苦労して、充分噛んでからビールで流し込んだ。ただ苦く炭酸が強いだけのアルコールを、口の中を洗う為だけに飲む。
「俺は茄子が好きなんだけど」
「はい」
「茄子の皮を剥いて揚げたらちまきに見えるかも、と思った」
「……え、と。何の話を」
「覚えてない?ちまきの天ぷら。秋刀魚の天ぷらは食べられるのかって話からさ」
「あー。覚えてます。バナナに団子に饅頭」
「それそれ」
 フッと笑ったカカシさんがグラスに口をつける。グラスの中身はほとんど無い。そろそろお代わりを頼むのだろうか。向かい合う俺のグラスにはまだ半分近く残っている。
「好きと嫌いを掛け合わせたら、だっけ。多分俺は秋刀魚の天ぷらも茄子の天ぷらも食べないな。無理をするのは良くないよ」
「まあそうかもしれないですけど、無理?天ぷら一個に?」
「同じセリフを混ぜご飯に言うけど」
「失言でした」
「サイコロステーキ頼む?」
「いえ、もう」
「そうだね」
 言葉尻ごとグラスの中身が吸い込まれてゆく。カカシさんのグラスは空になってしまった。どうしよう。もう一杯飲むのだろうか。
 様子を窺いながら口をつけたらえらい苦い液体が流れ込んできた。炭酸が喉を圧迫してむせてしまいそうだ。今度は出し巻きでやり過ごす。
「もう一杯、っていきたいけど、今日はここまで」
「え?」
「明日、早くって。あまり長居は出来ないの」
「すみません、俺気づかなくて」
「言わなきゃ分からないでしょ。また改めて、ってことでいい?」
「もちろんです!」
 まだ皿に残っていた出し巻きを口に放り込んで手を合わせる。迷ったがビールは残したまま席を立った。
 外はまだ夕闇を残しているが風はもう冷たい。月や星が明るくなるまでそう時間はかからないだろう。家へと歩く内に、空も真っ暗になるはずだ。
「すみません、ちょっと寄るところがあるので」
「あ、はい。ありがとうございました。また戻られたら来ましょう。お気を付けて」
「……うん」
 家とは反対方向へ行くのか、普段とは違う道を歩いてゆく。後ろ姿に一礼してゆっくりと歩き出した。いつもの帰り道を今日は一人で歩く。ぐらつく足元を一歩ずつ確かめるように進んだ。
――ひょっとしたらいけるかも。

 そう思ったのが緩みに繋がったのか、突如胃の奥が迫り上がる感触に襲われた。息を止めてアパートへ向かって全速力で走り出す。手で強く口を押さえ、真っ直ぐアパートを目指した。一呼吸でもしたら反動ですべて出てしまう。耳の奥がガンガン鳴るのを無視してひたすら走り続けた。
 苦しさに滲む視界にアパートが映り、足に力をこめる。外階段を使わずにドアの前までジャンプして、引っ張り出した鍵を差しながら体当たりするようにドアを開けた。サンダルを脱がずにトイレへ駆け込み便座を鷲掴む。声にならない呻きと一緒に詰め込んだものが遡ってきた。
「っぐ、ぅえっ、っ」
 ごぼごぼと喉から迫り上がってきた苦みが便器へと落ちてゆく。一度じゃ足りないと、揺り返すように何度も体の奥から衝動に突き上げられた。為す術もなく凭れ掛った便器に全てぶちまける。カカシさんと過ごした時間が全て体の中から出ていった。もう空っぽになった胃はそれでも責めるように押し上げ続け、空嘔吐きが止まらない。
「……んだよ」
 唾と一緒に苦みを吐き捨てる。苦しさにきつく目を瞑った。



 トイレから這い出し座ったまま鞄とベストを放り投げた。のろのろと短い廊下を歩きながらシャツを脱ぎ洗濯機へ放り込む。素っ裸になってまだ冷たいシャワーを頭から被った。
 上を向いて開けた口の中にシャワーを注ぐ。満たしては吐き出すを繰り返し、うがいした。ようやく温まってきたシャワーをざばざば浴びながら、冷えた体を温める。
 指先が冷たく感じるのは、調子が悪いからだ。久々のアルコールが合わなかったからだし、ビールが苦くて不快な炭酸水にしか思えなかったのも、出し巻きが水浸しのゴムみたいに感じたのも、全部全部。
 思い出す内にまた胃の奥がムカついて大きく口を開けた。大袈裟なくらい深呼吸を繰り返す。もう吐くものなどないと分かっていても、あの感触は味わいたくない。

 本当は分かっている。心臓がうるさい理由も呼吸が乱れる理由も。興奮していたのは恐怖を抑え込む反動で。何度も時計を見るほど早くしてくれと焦っていたのは、気づいたら立ち止まってしまいそうだから。距離を縮めるにはまだ早いのだと、体が悲鳴を上げていた。でもあの人の端々に、ちゃんと俺への気持ちが表われていたから応えるべきだと思ったんだ。
 媚薬での事故なんて忍なら乗り越えられる。自分達の行動を悔やみ、戻りたいと思う気持ちは変わらないのだから、一歩踏み込んでしまえばうまく引き摺られるのではないかと過信した。気持ちも頭も納得しているのだから、何とかなると思いたかったのだ。情けなく便器に突っ伏す自分に間違いだと分かったけれど。
 
 あと一杯と言われたら耐えられなかった。今の俺はグラス半分しか彼を受け入れられない。それすらも吐いてしまった。荒療治は痛みを伴うだろうと覚悟していたつもりだが、実際に経験するとやはり辛いものがある。
 彼との関係を戻したい。友人としてもう一度隣に並び、一緒に笑いたい。あの楽しい時間を取り戻すには、どうすればいいのだろう。
2021/11/13(土) 02:05 ゆらゆら COMMENT(0)
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