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 驚きに口を開けたまま固まる顔、今にも泣き出しそうに歪む顔、眉を吊り上げて怒る顔。どの顔も精一杯に主張していて嬉しかった。口々にまた来てねと言ってもらえて、こちらが泣きそうになってしまったくらいだ。子ども達の感情はまっすぐに向かってくる。その形にはみな淋しいという思いがくっついていて、自分がいかに恵まれているかを知った。悩んだこともうまくいかない時もあったけれど、教師は天職だったのかもしれない。またいつか戻りたいと願うほどには楽しい日々だった。荷物を詰め込んだ段ボールは想像していたよりも重く、ここで過ごした時間の長さを象徴している。大事に抱えて家へと帰った。今は思い出ごとしまっておこう。
 翌朝向かった火影屋敷は人気がなくしんとしていた。奥方様を迎えられたというので門番がいるのかと思ったが、そうではないらしい。入り口を潜るとふにゃんと空間が歪むのを感じた。薄い粘膜を通り抜けるような弾力のある結界。外部を弾き出すというよりは内部を保護するように思えて、その中心にある存在の重さを悟る。あれほどの人が大事になさるのは一体どんな方なのだろう。緊張に湿る手のひらを握り締めて屋敷へ入った。
 奥方様の居室は南西の日当たりの良い部屋。カカシ様に案内された部屋は、部屋の半分以上が大きなカーテンで閉ざされていた。部屋を分断するかのように天井から床までピッタリと覆うようになっている。壁の一面が窓になっているから暗くはないが、少し異様な雰囲気ではあった。少なくともうら若い女性の部屋とは思えない空気の重さがある。俺に待機するように合図して、カカシ様が声をかけながらカーテンの向こうへ入っていった。
「シラギク。身の回りの世話をしてくれる人を連れて来たよ。紹介するね」
「はい」
――何だろうこれは。ふわりと緩やかな春風が頬を撫でていったような。高くもなく低くもない穏やかな声がした。たった一言が身の内に染み込んでゆくような不思議な感覚がする。初めて聞いたはずなのに、よく知っているような声だった。
「先生?」
「はい」
「ごめんね。顔を見せることは出来ないの。そこで自己紹介してくれるかな」
「承知しました。うみのイルカと申します。アカデミーで教師をしておりました。精一杯務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願い致します」
「先生硬いなあ~。もっと気楽でいいよ」
「そういうわけには」
「シラギクと申します。こんな形で申し訳ありません。どうぞよろしくお願い致します」
「シラギクも硬いよ」
「そう仰られても困ります……」
「ごめんごめん」
 カーテンの向こうでぼそぼそと小さな声がする。声を潜めて夫婦の会話をしているのだろう。申し訳ないとは思うが、下がって良いと言われていない以上ここに留まらなければならない。この向こうの小さな空間が、夫婦の世界。狭いな、と感じる。世界を駆け回り、里長とまでなった人の妻がこんな場所に閉じこもっていなければならないのか。不憫と感じるのは失礼だろう。きっとお二人で相談して、覚悟の上でいらっしゃったのだ。それまでの生活を捨てることになっても共に生きようと決めて、ここへ。お加減が良い時に里を見て頂きたい。自分のいる場所はどんな所なのか。あなたの夫が守る場所がどれほど素晴らしいのか、感じてもらいたい。いつか火影岩の上へお連れできたらいいなと思った。



 朝起きて火影屋敷へ向かう。シラギク様は朝食をお召し上がりにならないらしいので、出勤はゆっくりめ。十時頃に軽めの食事を出して、必要なものやご希望されることはないか伺う。毎日繰り返しても何かしらの要求が返ってくることはほとんどなく、交わす言葉も多くなかった。カーテンの向こうでシラギク様が何をして過ごされているのかは分からない。お呼びがかからない以上俺は待機するのみで、火影屋敷にある書庫の整理をしながらのんびりと時間を費やしていた。カカシ様の性格なのか書庫の中はきっちりと分類してあり、整理といっても手を出す部分を探すのが難しいくらいの綺麗さだ。部屋を埋め尽くす書棚から興味のある書物を引っ張り出して読むのが仕事のようになっていて、静かすぎる時間を持て余している。そんな俺に目をつけたのが、屋敷の諸事と料理をしに通っているオオバさんだった。
「日がな一日本に埋もれてないで、少しは体を動かしましょう!よろしくね」
 ニッコリ笑いながら押しつけられた鎌とタオル。左手の人差し指はピッと庭を指していて、即座に言われたことを理解した。元より忍、体を動かしている方が性に合っていたことも相まって、屋敷の中の掃除はオオバさん外周りは俺と、いつの間にか担当ができてしまった。彼女はなかなかのやり手だ。お疲れ様と言って出された昼飯がめちゃくちゃ美味くて、あっという間に胃袋を掴まれてしまったからとも言える。これにはどうにも逆らえなかった。書庫の整理と読書とシラギク様の配膳に加えて、庭の整備が主な仕事。ゆったりとした時間は長いようなあっという間のような不思議な感覚に包まれて、ちゃんと地に足がついているか、つい確認してしまう。遠くに聞こえるアカデミーの声は昔と同じだが、その距離を感じて耳を閉ざすことも多くなった。
日中屋敷にいるのは三人きり。シラギク様と俺とオオバさんだ。遠慮なく豪快に笑う彼女にも心配事はあって、俺と同じだということも分かった。新婚だというのにすれ違い生活を続けるカカシ様とシラギク様。このお二人に、もっと一緒に過ごしてもらいたいと俺達は願っている。カカシ様は連日火影室で残業をしていて、シラギク様がお休みになられた後のお戻りだ。お立場を考えれば仕様が無いとはいえ、傍に仕える者としては心が痛い。お茶を飲みながら頭を捻っていると、問題はそれだけじゃないと大きな溜息を吐く。
「カカシ様お食事をほとんど召し上がらないのよねえ。毎日あんなに働いてらっしゃるのに倒れちゃうわ」
「お食事は準備されてるんですよね」
「でも毎日たくさん残ってるのよ。食べる時間がなくてごめんねって仰るんだけど、あれじゃもたないわよ」
「執務室で召し上がってるのでは」
「確認したわよー。でも全然。お茶がせいぜいでお菓子も食べてないって。どこからエネルギーを捻りだしてるのかしら。あらどうしたの」
 首を捻るオオバさんに背を向けて薬棚の引き出しを開けた。屋敷の台所には、シラギク様の薬湯を煎じる為の生薬が各種取り揃えてある。大きな薬棚の一番下段、左端。この引き出しは、一番最初に確認をした時以来開けていない。ここにはシラギク様へお出しするものが入っていない。大きな薬棚の中で、唯一カカシ様が使うものが入っている。把手を引いてその軽さに眉を顰めた。軽い手応えに中身を見ると、引き出しの八割を占めていた中身が半分ほどに減っている。
「まったくあの人は……」
「なあに?何が入ってるの?」
 残っていた兵糧丸を全て掴みだし、ポーチへしまった。里だというのに戦場と同じように兵糧丸で命を繋いでいる。ここへ通うようになってもう半月が過ぎているのに、全く気づかなかったとは。己の迂闊さに頭を掻き毟った。愛する人との時間、温かい食事、誰しもが当たり前に求めるものを、当然とあるべく支えてきた人だ。誰よりも得る権利のある彼本人が、自身を蔑ろにしていいはずがない。俺はあの人がようやく足を止めることが出来るのならと、その時間の為にここへ来たはずなのだ、それなのに。全てに裏切られたような気がする。自分自身からさえも。こんな展開は望んでない。
「オオバさん。料理を教えてもらませんか」
「お料理?」
「遅く帰ってきた人に、温かい食事を出せるようにしたいんです」
「……そうね。私は夕方で帰っちゃうから後をお願い出来ると助かるわ。まずは、味を損なわない温め方からいきましょうか」
「よろしくお願いします!」
 暗い屋敷へ帰ってきて兵糧丸を囓る生活など終わらせるために。明かりのついた部屋で温かな食事を取れるように。ここが、彼の疲れを癒やす家となれるように。まずはそこからやってみよう。





 屋敷へ帰ってきて薬棚の引き出しを開けたカカシ様がどんな顔をしたか。暗闇の中から現れた俺を見て全てを悟り、どれだけ眉を下げたかは、彼の名誉の為に内緒にしておこうと思う。カカシ様を欺くほどの俺の見事な隠遁は、大いに褒めて頂いて構わないが。
 兵糧丸で食いつなぐのが良いことではないと、本人も分かっていた。最初は固辞していたけれど、温かい食事から漂う良い匂いに情けなく腹を鳴らした後は大人しくするしかない。食卓に座っていただきますと言わせてしまえば、あとはこっちのものだ。動く箸のスピードが若干早めなのは、見間違いではなかったと思う。美味しいねと笑う顔を見て、ぼんやりと二人で居酒屋へ行った時のことを思い出した。
あの頃はただの上忍と中忍で、知名度の違いなどそれほど気にしていなかった。里を代表する有名人のくせに、天ぷらに顔をしかめ秋刀魚を丸々一匹抱え込む姿に大笑いした。この人も普通の人なのだ。どれだけ大仰な名がついても、好物を独り占めしようと抱える姿は俺と同じただの男だと知った。笑い合って酒を飲んで、夜道をフラフラ二人で歩く。輝く月を見上げながら歩いたことも、突然降り出した深夜の雨に雨宿りしたこともあったはずだ。あんなに近かった距離がどうしてこんなに離れてしまったのだろうか。こんなテーブルなど存在しないくらい、どれだけ離れていても誰よりも近くに感じていたのに何故。
「先生?」
「はい」
「どうかした?」
「……いえ」
 何だろう。今の感覚はちょっと。
「本当に大丈夫?」
「はい。お代わりしますか?まだありますよ」
「うん。じゃ、もらおうかな」
 茶碗を差し出す姿に顔が綻ぶ。温かい食事は一人で囓る兵糧丸よりも、ずっと心が満たされるはずだ。良かったと弾む心が胸をじんわり熱くした。
2021/08/26(木) 01:47 空蝉の帳 COMMENT(0)
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