◆各種設定ごった煮注意
解説があるものは先にご確認ください
◆◆◆
報告書を提出した帰り道、追いかけてきた彼が躊躇いがちに切り出した言葉に驚いた。こんな日に声を掛けてくるとは珍しい。明日は早朝からの任務が入っていて、普段なら絶対に誘われない日だった。すぐに返答しない様子を渋っていると誤解したのか、酒はなしで飯だけでもダメですかと眉を下げて呟くので了承したものの、もっと驚いたのは彼が先導した先は定食屋や一楽ではなくて自宅だったことだ。簡素なアパートの二階、階段を上がった突き当たりの部屋はごちゃごちゃと物が置いてあるのにどこかスッキリとしていて、彼の堅実な暮らしぶりを表していた。バタバタと中へ入り、書きかけのプリントや読みかけの資料を一纏めにして隅へやると、卓袱台の前へ座布団を敷いてくれる。
「たくさん野菜を頂いたのですが、料理はあまり得意じゃないんです。鍋なら消費できると思って家へお誘いしました」
台所の床に積まれた白菜、大根、ネギ、里芋に柚子。確かにこれを一人で消費するのは大変だろう。外食なんてしていたら、食べきる前に腐らせてしまうかもしれない。有り難くご馳走になることにして、それならばと立ち上がった。
「先生が作ってくれるなら、酒買ってきます」
「えっ、お気遣い頂かなくても大丈夫ですよ! すぐ作るんで座っててください」
玄関へ向かう背中に慌てた声が飛んできたが、後ろ手に手を振り返してそのまま外へ出る。ぶらぶらと酒屋へ向かいながら、料理をしてくれる相手の為にわざわざ買い出しへ行こうなんて自分でもビックリだなと笑えてきた。これがお付き合いってやつなんだろう、この程度の情緒は自分にだってあると信じていたぞと、誰に言うともなく言い訳を始める。妙に軽い足取りから目を逸らして部屋へ戻れば、アパートの外廊下まで出汁の匂いが漂っていた。夕暮れの薄闇の中に香る甘い匂いは俺を迎える為に拵えたもの。普段なら絶対にやらない思いつきを実行してしまったのは、ほわんと丸い匂いに擽られたからに違いない。
気配を殺してベランダへ回り、そっと中を覗き見る。ちょっと古びた卓袱台の真ん中には湯気を上げた鍋、その周りに取り皿や箸が並んでいるのだろうと思っていたのに、電気も点けない部屋の真ん中で卓袱台に突っ伏した彼がポツンと浮かんで見えた。俺の目に映ったのは、薄暗い部屋とその真ん中で項垂れた背中。甘い出汁の匂いと真っ黒な背中はやけにアンバランスで、触れてはいけないと胸が騒いだ。動揺を表さないように静かに玄関へ移動して扉を開いたら、大きな足音が真っ直ぐに向かってくる。三和土の前で急停止した鼻先へ、ぶら下げていた酒瓶をずいと差し出した。
「はい、これで良かった?」
「ありがとうございます! 食べながらやりましょう」
いつものように嬉しそうに頬を染めて酒瓶を掴む。にっこりと笑って手を伸ばす直前、瞳が泣きそうに揺れていたのを確かに捉えたのに、今笑っているのならばそれで良いだろうと問い質すのはやめた。
俺を卓袱台の前に座らせて鍋や取り皿をカチャカチャと運んでくる姿は、彼がこの場を喜ぶ気持ちを演じているようで。その気持ちに誂えたかのような温かい食卓が調えられてゆくのを、ただ黙って眺めている。目の前にあるのは確かに俺が想像していた風景だけど、本当の景色ではないのだともう知ってしまった。彼の告白を受け入れた時から舞台の主役は決まっている。控え室の役者を覗き見るのはルール違反、唯一の観客としてこちらも知らない振りを演じる以外に続ける道などないのだ。
「いただきます」
手渡された器に盛られた中身は肉、野菜がバランス良く取り合わせてあって、ここにも彼の完璧な演出が見えた。湯気の向こうで笑う顔の裏にあるものは、いつか見えるのだろうか。ぼんやりと浮かんだ思考に、自分が一番驚いた。俺は彼が見せまいとするものを確かめたいと思っているのか。認めたくない思いを、葱と一緒に腹の中へ飲み込んだ。
不自然な誘いも不釣り合いな後ろ姿も、あれ以来目にしていない。俺の前で笑う彼は相変わらず「イルカ先生」で、微妙な距離感も変わらないまま恋人ごっこは続いている。初めてで唯一のお願いは「家で食事をしましょう」なんて些細なものでしかなく、彼の望みは、恋人というのは何だろうと時折頭を巡らせる。告白をうっかり了承してしまっただけで本来付き合うつもりもなかったのだから放っておいても良いのだが、どうも懐かれて情がわいたようだ。疑問が浮かぶのは相手に何らかの意識を持っているからだと気付くと同時に、それとは別にうまく表現出来ない違和感がいつも付きまとっていた。想定外の事態なのに、こんなはずではなかったという思いが離れないのは何故なのか。彼だけでなく俺自身の中にすらその答えは見当たらない。
悶々としていても日常は変わらなく、任務を受けて里外へ出たり、たまに誘われて飲みに行ったりという生活を繰り返す。資料室へ調べ物をしに行ったのはたまたまで、後から彼が入ってきたのも本当にただの偶然だった。奥の書架の前で息を殺して様子を覗うと、「イルカ先生」の笑い声が聞こえてくる。アカデミーの同僚と話しながら巻物を繰る姿は、俺の前にいる彼とは違って生き生きとしていた。冗談を言って笑い、いい加減に突っ込まれたファイルに腹を立て、一発で資料を探り当てて喜ぶ姿。彼はこういう人だった。子供へ向ける優しい眼差し、御前でも関係ないと上官に食って掛かる度胸、大口を開けて仲間と笑い合う顔。それほど関わりがなくても目にしていた、たくさんの彼はどこへ行ったのだろう。
一緒にいる時間は以前と比べものにならない位あるのに、頭に浮かぶのはちょっとはにかんで笑う顔ばかり。俺だけが知る彼の顔だと思えたら幸せだったのだけれど、そこまで浮かれていない頭に残ったのは不愉快な疑問だけ。ぼんやりと考え込んでいる内にいつの間にか二人は消えていて、薄暗い部屋の奥に一人取り残されていた。
報告書を提出した帰り道、追いかけてきた彼が躊躇いがちに切り出した言葉に驚いた。こんな日に声を掛けてくるとは珍しい。明日は早朝からの任務が入っていて、普段なら絶対に誘われない日だった。すぐに返答しない様子を渋っていると誤解したのか、酒はなしで飯だけでもダメですかと眉を下げて呟くので了承したものの、もっと驚いたのは彼が先導した先は定食屋や一楽ではなくて自宅だったことだ。簡素なアパートの二階、階段を上がった突き当たりの部屋はごちゃごちゃと物が置いてあるのにどこかスッキリとしていて、彼の堅実な暮らしぶりを表していた。バタバタと中へ入り、書きかけのプリントや読みかけの資料を一纏めにして隅へやると、卓袱台の前へ座布団を敷いてくれる。
「たくさん野菜を頂いたのですが、料理はあまり得意じゃないんです。鍋なら消費できると思って家へお誘いしました」
台所の床に積まれた白菜、大根、ネギ、里芋に柚子。確かにこれを一人で消費するのは大変だろう。外食なんてしていたら、食べきる前に腐らせてしまうかもしれない。有り難くご馳走になることにして、それならばと立ち上がった。
「先生が作ってくれるなら、酒買ってきます」
「えっ、お気遣い頂かなくても大丈夫ですよ! すぐ作るんで座っててください」
玄関へ向かう背中に慌てた声が飛んできたが、後ろ手に手を振り返してそのまま外へ出る。ぶらぶらと酒屋へ向かいながら、料理をしてくれる相手の為にわざわざ買い出しへ行こうなんて自分でもビックリだなと笑えてきた。これがお付き合いってやつなんだろう、この程度の情緒は自分にだってあると信じていたぞと、誰に言うともなく言い訳を始める。妙に軽い足取りから目を逸らして部屋へ戻れば、アパートの外廊下まで出汁の匂いが漂っていた。夕暮れの薄闇の中に香る甘い匂いは俺を迎える為に拵えたもの。普段なら絶対にやらない思いつきを実行してしまったのは、ほわんと丸い匂いに擽られたからに違いない。
気配を殺してベランダへ回り、そっと中を覗き見る。ちょっと古びた卓袱台の真ん中には湯気を上げた鍋、その周りに取り皿や箸が並んでいるのだろうと思っていたのに、電気も点けない部屋の真ん中で卓袱台に突っ伏した彼がポツンと浮かんで見えた。俺の目に映ったのは、薄暗い部屋とその真ん中で項垂れた背中。甘い出汁の匂いと真っ黒な背中はやけにアンバランスで、触れてはいけないと胸が騒いだ。動揺を表さないように静かに玄関へ移動して扉を開いたら、大きな足音が真っ直ぐに向かってくる。三和土の前で急停止した鼻先へ、ぶら下げていた酒瓶をずいと差し出した。
「はい、これで良かった?」
「ありがとうございます! 食べながらやりましょう」
いつものように嬉しそうに頬を染めて酒瓶を掴む。にっこりと笑って手を伸ばす直前、瞳が泣きそうに揺れていたのを確かに捉えたのに、今笑っているのならばそれで良いだろうと問い質すのはやめた。
俺を卓袱台の前に座らせて鍋や取り皿をカチャカチャと運んでくる姿は、彼がこの場を喜ぶ気持ちを演じているようで。その気持ちに誂えたかのような温かい食卓が調えられてゆくのを、ただ黙って眺めている。目の前にあるのは確かに俺が想像していた風景だけど、本当の景色ではないのだともう知ってしまった。彼の告白を受け入れた時から舞台の主役は決まっている。控え室の役者を覗き見るのはルール違反、唯一の観客としてこちらも知らない振りを演じる以外に続ける道などないのだ。
「いただきます」
手渡された器に盛られた中身は肉、野菜がバランス良く取り合わせてあって、ここにも彼の完璧な演出が見えた。湯気の向こうで笑う顔の裏にあるものは、いつか見えるのだろうか。ぼんやりと浮かんだ思考に、自分が一番驚いた。俺は彼が見せまいとするものを確かめたいと思っているのか。認めたくない思いを、葱と一緒に腹の中へ飲み込んだ。
不自然な誘いも不釣り合いな後ろ姿も、あれ以来目にしていない。俺の前で笑う彼は相変わらず「イルカ先生」で、微妙な距離感も変わらないまま恋人ごっこは続いている。初めてで唯一のお願いは「家で食事をしましょう」なんて些細なものでしかなく、彼の望みは、恋人というのは何だろうと時折頭を巡らせる。告白をうっかり了承してしまっただけで本来付き合うつもりもなかったのだから放っておいても良いのだが、どうも懐かれて情がわいたようだ。疑問が浮かぶのは相手に何らかの意識を持っているからだと気付くと同時に、それとは別にうまく表現出来ない違和感がいつも付きまとっていた。想定外の事態なのに、こんなはずではなかったという思いが離れないのは何故なのか。彼だけでなく俺自身の中にすらその答えは見当たらない。
悶々としていても日常は変わらなく、任務を受けて里外へ出たり、たまに誘われて飲みに行ったりという生活を繰り返す。資料室へ調べ物をしに行ったのはたまたまで、後から彼が入ってきたのも本当にただの偶然だった。奥の書架の前で息を殺して様子を覗うと、「イルカ先生」の笑い声が聞こえてくる。アカデミーの同僚と話しながら巻物を繰る姿は、俺の前にいる彼とは違って生き生きとしていた。冗談を言って笑い、いい加減に突っ込まれたファイルに腹を立て、一発で資料を探り当てて喜ぶ姿。彼はこういう人だった。子供へ向ける優しい眼差し、御前でも関係ないと上官に食って掛かる度胸、大口を開けて仲間と笑い合う顔。それほど関わりがなくても目にしていた、たくさんの彼はどこへ行ったのだろう。
一緒にいる時間は以前と比べものにならない位あるのに、頭に浮かぶのはちょっとはにかんで笑う顔ばかり。俺だけが知る彼の顔だと思えたら幸せだったのだけれど、そこまで浮かれていない頭に残ったのは不愉快な疑問だけ。ぼんやりと考え込んでいる内にいつの間にか二人は消えていて、薄暗い部屋の奥に一人取り残されていた。
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