◆各種設定ごった煮注意
解説があるものは先にご確認ください
抱えていた辞書を閉じてカウンターの上に置く。うーむと腕を組んでいると、横からちょんちょんと突かれた。
「難しい顔して何を調べてたんだ?」
「セフレ」
「は?」
「せっくすふれんど。両方とも載ってなかった」
「そらそうだろ。つーかお前何があったのよ」
「んー」
「セフレが欲しいのか?」
「いや、欲しかったわけじゃない」
「イルカ。誰かに不本意な関係を強要されてるのか」
「そっち?」
「力になるから言ってみろ」
「違うって。勘違いさせて悪かったな」
眉間に皺を寄せているのでぽんぽんと肩を叩いた。本当に違う。強要なんかされてないし、むしろ逆だ。押し倒したのは俺の方。
「お前が心配してるようなことじゃなくて、どっちかっていうと、ピチピチビッチイルカくんて感じ?」
「お前はズルズルラーメン一楽くんだろ」
「イルカ、二十代半ばでピチピチは無理だ。はっきり言ってその言葉選び自体カラカラだ」
「この歳だとふしだらの方が合うような」
「あーいいな、ふしだら。より淫靡な感じ」
「いんび?」
「隠微だろ」
「違う違う淫靡」
「イルカ」
笑わせてやろうと思ったのに眉間の皺がもっと深くなった。確かにキツかったかな。ちょっと反省する。
「あのさ、友達と恋人の違いって何だ?」
「そら好きの違いだろ」
「大人としてお答えするなら体の関係じゃないですかね、ピチピチくん」
「じゃあ、恋人とセフレの違いは」
「感情。好きじゃなくてもやれる」
「セフレだったら寝る以外なくね? 恋人はデートしたりとかあるけど」
「……未来?」
「おー」
「恋人なら関係の発展があるだろうけど、セフレから恋人って難しくないか?」
「どうだろうなあ」
わいわいとセフレと恋人の違いについて語り合っている。残念だが、この中にはセフレがいたなんていう華やかな経歴を持つヤツはいないので、あくまで想像の話だ。元恋人からセフレってのはどう思う? と聞きたかったのだがやめておこう。ますます突っ込まれるだけで終わりそうだ。鞄を手に立ち上がった。
「辞書片付けて帰るわ」
「おう。お疲れさん」
じゃあなと手を振って扉を開けた。廊下は暗闇に沈んでいる。考えを整理するにはこっちの方が落ち着くし、却ってちょうど良い。電気を点けずに歩き始めた。
友達だった人は恋人になり、元恋人を経てセフレに変わった。突然別れると宣言して家を出たと思ったら、友達の顔をして戻ってきたのが数ヶ月前。以前の関係に戻るのかと思えば、突き刺さる視線は恋人のまま変わらない。思い切り混乱させられたが、カカシさんは元恋人、現飲み友達という曖昧な関係に満足しているようだった。何も言ってくれないのならそれでもいい。ただ、向こうが満足したとしても俺は友達のままなんて嫌だ。俺の気持ちは俺自身で救いたいと考えた挙げ句、文字通り体当たりした。
不意打ちを喰らったカカシさんは驚いていたが、やはり気になって確かめてみたかったのだろう。しばらくして飲みに行こうと誘ってきた。はいと頷いて店で飲んだ後、また家まで送ってもらった。送り狼ならぬ送られ狼として、帰ろうとするカカシさんを家の中まで引っ張り込む。引いた線から入って来ようとしない彼を、自分の陣地に引きずり込んで押し倒してやった。口布を下ろす手を止めなかったし、のしかかってたはずがいつの間にか天井を見上げていたので、まあ向こうも嫌だったわけじゃないと思う。
「次」と「家」の意味を正しく理解した彼は、あっさりと俺達の関係をセフレへとスライドすることにしたらしい。送ってくれと言わずとも、店を出た後は同じ道を帰るようになった。俺の頭の中は、八割目論見通り、一割想定外、もう一割はなんで? で埋まっている。嬉しいのか悲しいのかは分からない。
彼と寝ることで、俺達の関係は変化するだろうと思っていた。想定していた変化後の関係は三種類。一つ目は完全なセフレとして体だけの関係になってしまう場合。二つ目は気まずくなって友達という関係も壊れてしまう場合。このパターンは最悪、仕事以外の接触はなくなるかもと思っていた。三つ目は、済し崩し的に恋人に戻る場合。まあ最後はないだろうなと思っていたが、期待くらい自由にさせろ。想像通り玉砕したけど、希望を持つなとは言われてない。カカシさんが選んだのはまたしても曖昧な形で、俺達の関係はより複雑になった。体の関係はあるけどただの友達のように食事をするし、見つめる視線は恋人のような熱を持ったまま。友達関係は維持したまま定期的に体の関係が混ざるのなら、言葉通りセフレだよなとも思ったけど、概念はちょっと違うようだし。俺達の関係は名前がつかない。だからきっと未来もない。
いつの間にか暗黙のルールってやつが出来た。受付で飲みにいきましょうと言われる時は、友達としての食事。門の前や家の前で待ち伏せしてたら抱きたいの合図。「店で」と言われて「家で」と返す時は俺からの誘い。爛れたように思える関係は、それなりのルールのもと回数を重ねていった。繰り返す内に気づくこともある。言葉に出すのはまだ早いと抱え込んでいるけれど、ちょっとでも突くと破裂しそうなくらいには大きくなっていた。俺一人で爆発するのは少し嫌。ごそごそとアンダーを着込む背中に、いつぶつけてやろうかと目下思案中だ。
「帰るんですか?」
「うん。寝る前にちゃんと鍵閉めてね」
手甲をはめながら言う台詞はいつも同じで、時折思い切り枕を投げつけてやりたくなる。俺に触れる手の優しさ、合間に囁く声の甘さや焼け付くような視線の熱さまで以前と全く変わらないくせに、朝まで隣にいてくれることはない。まだ動けない俺を置いて身なりを調えると、すぐに家へ帰ってしまう。俺はいつもこの家に置いてきぼりだ。そーっと体を起こして座ってみる。大丈夫、動けそうだ。
「待って下さい」
「何?」
ベッドから下りて、パンツとズボンを一度に履く。上半身は裸のままで居間へ移動すると、置いてあるポーチに手を突っ込んだ。探り出した鍵をぽんとカカシさんへ放る。綺麗にキャッチして、手の中に収まった小さな鍵をじっと見つめていた。どういう意味? って聞いてくれたら、違う答えも用意してたんだけどな。
「毎度ポストの中に入れておいてもらうのも、回収が面倒なんで。それ持ってて下さい」
「……分かった」
装備を整えて玄関へ向かう背中を見送る。カチャンと鍵を閉める音がして、しばらく耳を済ませていたが何も聞こえなかった。返さずにちゃんと持って行ったらしい。
あれは、彼が転がり込んで来た時に渡した合い鍵だ。家を出て行った日に置き去りになっていたままの鍵を、セフレとなった彼に渡した。きっと、自分が使っていた鍵だと分かったはず。過去の証を手にしてどう思ったんだろう。以前とは違う意味を持たされた鍵に何を見たのか。
「関係ねえや」
洗面所へ向かい、パンツとズボンを洗濯機に放り込む。彼がどう思ったってもう関係ないのだ。見えない理由を探し続ける位なら、俺が上から塗り潰してやる。
ずるずるとした意味のない関係は、思ったより長く続いた。本当は、いつ彼の視線が冷めるか観察するつもりだった。明るく正しいイルカ先生を愛していたのなら、元恋人と体の関係を続ける中忍を見限る日が来るはず。もしくは食事や土産を贈って機嫌を取る真似はやめて、寝るだけになると思っていた。
「酒の方が良かった?」
「いえ」
どうぞと渡された箱の中を見つめた。繊細な細工を施された砂糖菓子は箱の中で綺麗な花を咲かせている。これは、二十も半ばの男に渡す土産だろうか。
「綺麗ですね」
「でしょう? 先生に見せたくて」
ふふっと笑う顔は、手の中の砂糖菓子よりもよっぽど甘くて泣きそうになる。あなたを愛していると言った言葉は真実だと、俺へ向けるその顔が言っているのに。俺達はどうして。
蓋を閉めて砂糖菓子を隠した。綺麗なものを見ているからいけないのだ。何の迷いもないように笑うから、自分ばかりが汚れていると思い知らされる。
「今日、一緒に食べます?」
「ううん、それは先生が食べて。また今度」
去って行く背中を見送る。こんなはずではなかった。理由も言わずに出て行った時のように、カカシさんがもっと勝手だったら良かったのに。変わってしまった恋人に失望して離れてくれたら、都合の良い関係で俺を振り回してくれたら、きっと諦めがついた。甘い視線も優しい声もそのまますぎて、俺を雁字搦めにする。こんなはずでは、なかったんだ。
付き合っていた時と変わらない時間、隠し合う腹の中。お互いどう思っていようとも、出さなければ分からない。見えないものは存在しないと目を背け、ずるずると関係を続けていた。始まった時とは違う空気が蔓延し、世界は物騒になっている。教え子の成長に涙したり大事な人を亡くしたり、足元から崩れ落ちるような思いもしたけれど、慰め合うような真似はしなかった。そういうことは大事な人とするべきで、セフレにぶつけるものじゃない。俺に出来るのは、ただ体を重ねて背中を見送るだけ。友達のままだったら語り合えたかもしれないけれど、歪んだ形を選んだ俺達は話し方を忘れてしまった。大事なことは胸の中。ずっとそうやっていくのだろうと諦めと溜息ばかりが重なり続ける。だが、そう思えている内は良かったのだと思い知らされた。俺達は忍なのだ。
あの子の大事な時に関われるのは嬉しいと思う。もうとっくに俺よりも強くなってしまったけれど、大事な家族だ。家の中を片付け終わり、ざっと見回す。また里へ戻って来れるかは分からない。正直、俺よりもカカシさんの方が早く発つと思っていたので意外だったが、逆に良い機会をもらえた。家を出て鍵を閉める。薄暗くなり始めた道をゆっくり歩いた。
軽くノックして家主を待つ。いるかいないか。可能性は半々だったが、最後の最後で運が向いて来たらしい。ノブを掴んだまま驚いたように目を見開くカカシさんに笑いかける。
「こんばんは」
「こんばんは……ってどうしたの。先生が尋ねてくるなんて初めてじゃない」
「いいですか?」
「うん。どうぞ」
通された部屋は俺の古いアパートよりも綺麗で広い。俺の家に転がり込んでこなくても、こんなに立派な部屋があったのに。この小綺麗な空間よりも俺の家が居心地良かったのだと思えば、少し気分が良い。少しだけどな、ほんの少し。
「何か飲みます? 酒の方が良いかな」
「いりません」
振り返りながら額当てを外す。ルールは分かっているはずだ。「家」ならやることは一つ。戸惑って立ち尽くす人に笑いかけた。
はい、と渡された水を遠慮なく頂く。汗もかいたし喉はカラカラだった。下だけ履いたカカシさんがベッドの端に腰掛けている。珍しいなと思ったが、ここは彼の家だから帰る必要などないのだ。
「何かあった?」
「どうしてそう思うんです」
「だって」
やる時はいつもあなたの家だったでしょ、とはさすがに言いにくいらしい。グラスを弄びながら黙ってしまった。ベッドから出て服を着る。いつもとは反対だ。
「ねえ」
「はい」
「……最後なの?」
「俺達はいつだってそうでしょう」
約束のない関係はいつ途切れてもおかしくない。別に不思議なことでもなんでもないのだ。ましてや命のやり取りが生業なのだし、こうも続いたのは幸運だったと言える。髪紐をくわえて髪をまとめた。ベストを着て額当てをつけたら、短い滞在は終了。今日は俺がこの部屋を出る。
「教えてくれないの」
「教えることなんてありませんよ」
「先生は何も聞かないから、俺も聞いたらいけないのかな」
「知りたいことがあるんですか」
「あるよ。たくさんある」
思わず笑ってしまって、怪訝な顔をされた。あなたが出て行ったあの日から、俺の中は疑問でいっぱいだ。告げられないのが答えだと全部深く沈めている。聞かないと知りたくないは、同じではない。カカシさんの中にある知りたいことが何かは分からないけど、俺達の関係はそれを見ない振りをしたところに立っている。いまさらひっくり返そうというのか。
「なんで」
「何?」
「ずっと言いたかった。なんで? って。でももういい。言わないのなら聞かない」
「もう知りたくないってこと」
「違いますよ。俺は交換したんです。だからもう資格がない」
「資格って何? 先生」
恋人でいたいのなら、理由を聞くべきだった。友達に戻るのなら、線を引くべきだった。理由を知ったら希望を捨てなきゃいけないかもしれない。線を引いたら彼に触れられない。彼に触れる為に、どちらも拒んだ。聞かないのではなくて聞けないのだ。狡い俺には資格がない。でも悪くないと思う。恋人という形ではないけど、カカシさんはきっと俺を愛している。それを知る距離にはいられたし。
掛け布団をめくってシーツをぽんぽんと叩く。
「俺は帰ります。もう寝て下さい」
「寝られない。あなたがいないと眠れない」
「何言ってるんですか」
「本当なの。眠る時はあなたを思い浮かべないとダメ」
眉を下げて繰り返すので、嘘ではないのかもと思った。でも、カカシさんが家を出てから一緒に眠ったことなどない。このまま俺が帰ってもちゃんと眠れるはずだ。ビシビシ指摘してやっても良かったが、これが最後になるかもしれないからサービスしよう。ベッドに潜り込んで隣をポンポンと叩く。
「特別に抱き枕になってあげます。横にどうぞ」
喜ぶかと思ったのに、眉間に深い皺を寄せて苦しそうな顔をする。引き止めたつもりではなかったのか。収まりのつかない状況に焦ってしまった。ガバリと体を起こして掛け布団を跳ねのける。ベッドから下りようと立て膝になった時、強く手首を掴まれた。
「行かないで」
「でも」
「お願い。寝かしつけてくれるんでしょ?」
「本当にして欲しいんですか」
とてもじゃないがそうは見えない。気まずい空気のまま同じ布団に入るのも御免だ。
「俺が寝ても先生は寝ないで」
「はい?」
「お願い。俺が寝たらそのまま放っといてくれていいから、先生は眠らないで」
「分かりました」
そんなに朝まで一緒にいるのが嫌なのか。ならすぐ帰ったっていいんだぞと思いつつ、もう一度ベッドに入る。寝るなというのは、絶対に泊まらずに帰っていた行動に繋がるのだろうか。考え込んでいる間に、隣に滑り込んできたカカシさんがぎゅっと抱きついてきた。飛びそうになる思考が一気に引き戻される。胸に顔を埋めて先生、と呟いた。胸元に吸い込まれてしまった小さな声は、切ない響きを含んでいる。帰らなくて正解だったと、顎の下の銀髪に唇を寄せた。背中へ回した手のひらから、彼の鼓動が伝わる。二人の呼吸も心音も、まるで一つになったようにピッタリと重なっていた。
「難しい顔して何を調べてたんだ?」
「セフレ」
「は?」
「せっくすふれんど。両方とも載ってなかった」
「そらそうだろ。つーかお前何があったのよ」
「んー」
「セフレが欲しいのか?」
「いや、欲しかったわけじゃない」
「イルカ。誰かに不本意な関係を強要されてるのか」
「そっち?」
「力になるから言ってみろ」
「違うって。勘違いさせて悪かったな」
眉間に皺を寄せているのでぽんぽんと肩を叩いた。本当に違う。強要なんかされてないし、むしろ逆だ。押し倒したのは俺の方。
「お前が心配してるようなことじゃなくて、どっちかっていうと、ピチピチビッチイルカくんて感じ?」
「お前はズルズルラーメン一楽くんだろ」
「イルカ、二十代半ばでピチピチは無理だ。はっきり言ってその言葉選び自体カラカラだ」
「この歳だとふしだらの方が合うような」
「あーいいな、ふしだら。より淫靡な感じ」
「いんび?」
「隠微だろ」
「違う違う淫靡」
「イルカ」
笑わせてやろうと思ったのに眉間の皺がもっと深くなった。確かにキツかったかな。ちょっと反省する。
「あのさ、友達と恋人の違いって何だ?」
「そら好きの違いだろ」
「大人としてお答えするなら体の関係じゃないですかね、ピチピチくん」
「じゃあ、恋人とセフレの違いは」
「感情。好きじゃなくてもやれる」
「セフレだったら寝る以外なくね? 恋人はデートしたりとかあるけど」
「……未来?」
「おー」
「恋人なら関係の発展があるだろうけど、セフレから恋人って難しくないか?」
「どうだろうなあ」
わいわいとセフレと恋人の違いについて語り合っている。残念だが、この中にはセフレがいたなんていう華やかな経歴を持つヤツはいないので、あくまで想像の話だ。元恋人からセフレってのはどう思う? と聞きたかったのだがやめておこう。ますます突っ込まれるだけで終わりそうだ。鞄を手に立ち上がった。
「辞書片付けて帰るわ」
「おう。お疲れさん」
じゃあなと手を振って扉を開けた。廊下は暗闇に沈んでいる。考えを整理するにはこっちの方が落ち着くし、却ってちょうど良い。電気を点けずに歩き始めた。
友達だった人は恋人になり、元恋人を経てセフレに変わった。突然別れると宣言して家を出たと思ったら、友達の顔をして戻ってきたのが数ヶ月前。以前の関係に戻るのかと思えば、突き刺さる視線は恋人のまま変わらない。思い切り混乱させられたが、カカシさんは元恋人、現飲み友達という曖昧な関係に満足しているようだった。何も言ってくれないのならそれでもいい。ただ、向こうが満足したとしても俺は友達のままなんて嫌だ。俺の気持ちは俺自身で救いたいと考えた挙げ句、文字通り体当たりした。
不意打ちを喰らったカカシさんは驚いていたが、やはり気になって確かめてみたかったのだろう。しばらくして飲みに行こうと誘ってきた。はいと頷いて店で飲んだ後、また家まで送ってもらった。送り狼ならぬ送られ狼として、帰ろうとするカカシさんを家の中まで引っ張り込む。引いた線から入って来ようとしない彼を、自分の陣地に引きずり込んで押し倒してやった。口布を下ろす手を止めなかったし、のしかかってたはずがいつの間にか天井を見上げていたので、まあ向こうも嫌だったわけじゃないと思う。
「次」と「家」の意味を正しく理解した彼は、あっさりと俺達の関係をセフレへとスライドすることにしたらしい。送ってくれと言わずとも、店を出た後は同じ道を帰るようになった。俺の頭の中は、八割目論見通り、一割想定外、もう一割はなんで? で埋まっている。嬉しいのか悲しいのかは分からない。
彼と寝ることで、俺達の関係は変化するだろうと思っていた。想定していた変化後の関係は三種類。一つ目は完全なセフレとして体だけの関係になってしまう場合。二つ目は気まずくなって友達という関係も壊れてしまう場合。このパターンは最悪、仕事以外の接触はなくなるかもと思っていた。三つ目は、済し崩し的に恋人に戻る場合。まあ最後はないだろうなと思っていたが、期待くらい自由にさせろ。想像通り玉砕したけど、希望を持つなとは言われてない。カカシさんが選んだのはまたしても曖昧な形で、俺達の関係はより複雑になった。体の関係はあるけどただの友達のように食事をするし、見つめる視線は恋人のような熱を持ったまま。友達関係は維持したまま定期的に体の関係が混ざるのなら、言葉通りセフレだよなとも思ったけど、概念はちょっと違うようだし。俺達の関係は名前がつかない。だからきっと未来もない。
いつの間にか暗黙のルールってやつが出来た。受付で飲みにいきましょうと言われる時は、友達としての食事。門の前や家の前で待ち伏せしてたら抱きたいの合図。「店で」と言われて「家で」と返す時は俺からの誘い。爛れたように思える関係は、それなりのルールのもと回数を重ねていった。繰り返す内に気づくこともある。言葉に出すのはまだ早いと抱え込んでいるけれど、ちょっとでも突くと破裂しそうなくらいには大きくなっていた。俺一人で爆発するのは少し嫌。ごそごそとアンダーを着込む背中に、いつぶつけてやろうかと目下思案中だ。
「帰るんですか?」
「うん。寝る前にちゃんと鍵閉めてね」
手甲をはめながら言う台詞はいつも同じで、時折思い切り枕を投げつけてやりたくなる。俺に触れる手の優しさ、合間に囁く声の甘さや焼け付くような視線の熱さまで以前と全く変わらないくせに、朝まで隣にいてくれることはない。まだ動けない俺を置いて身なりを調えると、すぐに家へ帰ってしまう。俺はいつもこの家に置いてきぼりだ。そーっと体を起こして座ってみる。大丈夫、動けそうだ。
「待って下さい」
「何?」
ベッドから下りて、パンツとズボンを一度に履く。上半身は裸のままで居間へ移動すると、置いてあるポーチに手を突っ込んだ。探り出した鍵をぽんとカカシさんへ放る。綺麗にキャッチして、手の中に収まった小さな鍵をじっと見つめていた。どういう意味? って聞いてくれたら、違う答えも用意してたんだけどな。
「毎度ポストの中に入れておいてもらうのも、回収が面倒なんで。それ持ってて下さい」
「……分かった」
装備を整えて玄関へ向かう背中を見送る。カチャンと鍵を閉める音がして、しばらく耳を済ませていたが何も聞こえなかった。返さずにちゃんと持って行ったらしい。
あれは、彼が転がり込んで来た時に渡した合い鍵だ。家を出て行った日に置き去りになっていたままの鍵を、セフレとなった彼に渡した。きっと、自分が使っていた鍵だと分かったはず。過去の証を手にしてどう思ったんだろう。以前とは違う意味を持たされた鍵に何を見たのか。
「関係ねえや」
洗面所へ向かい、パンツとズボンを洗濯機に放り込む。彼がどう思ったってもう関係ないのだ。見えない理由を探し続ける位なら、俺が上から塗り潰してやる。
ずるずるとした意味のない関係は、思ったより長く続いた。本当は、いつ彼の視線が冷めるか観察するつもりだった。明るく正しいイルカ先生を愛していたのなら、元恋人と体の関係を続ける中忍を見限る日が来るはず。もしくは食事や土産を贈って機嫌を取る真似はやめて、寝るだけになると思っていた。
「酒の方が良かった?」
「いえ」
どうぞと渡された箱の中を見つめた。繊細な細工を施された砂糖菓子は箱の中で綺麗な花を咲かせている。これは、二十も半ばの男に渡す土産だろうか。
「綺麗ですね」
「でしょう? 先生に見せたくて」
ふふっと笑う顔は、手の中の砂糖菓子よりもよっぽど甘くて泣きそうになる。あなたを愛していると言った言葉は真実だと、俺へ向けるその顔が言っているのに。俺達はどうして。
蓋を閉めて砂糖菓子を隠した。綺麗なものを見ているからいけないのだ。何の迷いもないように笑うから、自分ばかりが汚れていると思い知らされる。
「今日、一緒に食べます?」
「ううん、それは先生が食べて。また今度」
去って行く背中を見送る。こんなはずではなかった。理由も言わずに出て行った時のように、カカシさんがもっと勝手だったら良かったのに。変わってしまった恋人に失望して離れてくれたら、都合の良い関係で俺を振り回してくれたら、きっと諦めがついた。甘い視線も優しい声もそのまますぎて、俺を雁字搦めにする。こんなはずでは、なかったんだ。
付き合っていた時と変わらない時間、隠し合う腹の中。お互いどう思っていようとも、出さなければ分からない。見えないものは存在しないと目を背け、ずるずると関係を続けていた。始まった時とは違う空気が蔓延し、世界は物騒になっている。教え子の成長に涙したり大事な人を亡くしたり、足元から崩れ落ちるような思いもしたけれど、慰め合うような真似はしなかった。そういうことは大事な人とするべきで、セフレにぶつけるものじゃない。俺に出来るのは、ただ体を重ねて背中を見送るだけ。友達のままだったら語り合えたかもしれないけれど、歪んだ形を選んだ俺達は話し方を忘れてしまった。大事なことは胸の中。ずっとそうやっていくのだろうと諦めと溜息ばかりが重なり続ける。だが、そう思えている内は良かったのだと思い知らされた。俺達は忍なのだ。
あの子の大事な時に関われるのは嬉しいと思う。もうとっくに俺よりも強くなってしまったけれど、大事な家族だ。家の中を片付け終わり、ざっと見回す。また里へ戻って来れるかは分からない。正直、俺よりもカカシさんの方が早く発つと思っていたので意外だったが、逆に良い機会をもらえた。家を出て鍵を閉める。薄暗くなり始めた道をゆっくり歩いた。
軽くノックして家主を待つ。いるかいないか。可能性は半々だったが、最後の最後で運が向いて来たらしい。ノブを掴んだまま驚いたように目を見開くカカシさんに笑いかける。
「こんばんは」
「こんばんは……ってどうしたの。先生が尋ねてくるなんて初めてじゃない」
「いいですか?」
「うん。どうぞ」
通された部屋は俺の古いアパートよりも綺麗で広い。俺の家に転がり込んでこなくても、こんなに立派な部屋があったのに。この小綺麗な空間よりも俺の家が居心地良かったのだと思えば、少し気分が良い。少しだけどな、ほんの少し。
「何か飲みます? 酒の方が良いかな」
「いりません」
振り返りながら額当てを外す。ルールは分かっているはずだ。「家」ならやることは一つ。戸惑って立ち尽くす人に笑いかけた。
はい、と渡された水を遠慮なく頂く。汗もかいたし喉はカラカラだった。下だけ履いたカカシさんがベッドの端に腰掛けている。珍しいなと思ったが、ここは彼の家だから帰る必要などないのだ。
「何かあった?」
「どうしてそう思うんです」
「だって」
やる時はいつもあなたの家だったでしょ、とはさすがに言いにくいらしい。グラスを弄びながら黙ってしまった。ベッドから出て服を着る。いつもとは反対だ。
「ねえ」
「はい」
「……最後なの?」
「俺達はいつだってそうでしょう」
約束のない関係はいつ途切れてもおかしくない。別に不思議なことでもなんでもないのだ。ましてや命のやり取りが生業なのだし、こうも続いたのは幸運だったと言える。髪紐をくわえて髪をまとめた。ベストを着て額当てをつけたら、短い滞在は終了。今日は俺がこの部屋を出る。
「教えてくれないの」
「教えることなんてありませんよ」
「先生は何も聞かないから、俺も聞いたらいけないのかな」
「知りたいことがあるんですか」
「あるよ。たくさんある」
思わず笑ってしまって、怪訝な顔をされた。あなたが出て行ったあの日から、俺の中は疑問でいっぱいだ。告げられないのが答えだと全部深く沈めている。聞かないと知りたくないは、同じではない。カカシさんの中にある知りたいことが何かは分からないけど、俺達の関係はそれを見ない振りをしたところに立っている。いまさらひっくり返そうというのか。
「なんで」
「何?」
「ずっと言いたかった。なんで? って。でももういい。言わないのなら聞かない」
「もう知りたくないってこと」
「違いますよ。俺は交換したんです。だからもう資格がない」
「資格って何? 先生」
恋人でいたいのなら、理由を聞くべきだった。友達に戻るのなら、線を引くべきだった。理由を知ったら希望を捨てなきゃいけないかもしれない。線を引いたら彼に触れられない。彼に触れる為に、どちらも拒んだ。聞かないのではなくて聞けないのだ。狡い俺には資格がない。でも悪くないと思う。恋人という形ではないけど、カカシさんはきっと俺を愛している。それを知る距離にはいられたし。
掛け布団をめくってシーツをぽんぽんと叩く。
「俺は帰ります。もう寝て下さい」
「寝られない。あなたがいないと眠れない」
「何言ってるんですか」
「本当なの。眠る時はあなたを思い浮かべないとダメ」
眉を下げて繰り返すので、嘘ではないのかもと思った。でも、カカシさんが家を出てから一緒に眠ったことなどない。このまま俺が帰ってもちゃんと眠れるはずだ。ビシビシ指摘してやっても良かったが、これが最後になるかもしれないからサービスしよう。ベッドに潜り込んで隣をポンポンと叩く。
「特別に抱き枕になってあげます。横にどうぞ」
喜ぶかと思ったのに、眉間に深い皺を寄せて苦しそうな顔をする。引き止めたつもりではなかったのか。収まりのつかない状況に焦ってしまった。ガバリと体を起こして掛け布団を跳ねのける。ベッドから下りようと立て膝になった時、強く手首を掴まれた。
「行かないで」
「でも」
「お願い。寝かしつけてくれるんでしょ?」
「本当にして欲しいんですか」
とてもじゃないがそうは見えない。気まずい空気のまま同じ布団に入るのも御免だ。
「俺が寝ても先生は寝ないで」
「はい?」
「お願い。俺が寝たらそのまま放っといてくれていいから、先生は眠らないで」
「分かりました」
そんなに朝まで一緒にいるのが嫌なのか。ならすぐ帰ったっていいんだぞと思いつつ、もう一度ベッドに入る。寝るなというのは、絶対に泊まらずに帰っていた行動に繋がるのだろうか。考え込んでいる間に、隣に滑り込んできたカカシさんがぎゅっと抱きついてきた。飛びそうになる思考が一気に引き戻される。胸に顔を埋めて先生、と呟いた。胸元に吸い込まれてしまった小さな声は、切ない響きを含んでいる。帰らなくて正解だったと、顎の下の銀髪に唇を寄せた。背中へ回した手のひらから、彼の鼓動が伝わる。二人の呼吸も心音も、まるで一つになったようにピッタリと重なっていた。
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