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 洗濯物を畳み終えて窓の外を見る。群青色の空は藍色に変わっていて、もうすっかり日が暮れた。そろそろ帰ってくるだろうと鍋に火を入れたら、玄関から鍵を開ける音。良いタイミングだなとおかえりなさいの声をかける。ただいまと入ってきたカカシさんは、目線を落としたまま頬を緩めてくれた。
「すぐ飯の用意しますね」
「ありがと。でもいらない」
「え?」
 何か食べてきたのだろうか。それとも調子が悪い? 掻き混ぜていたみそ汁の火を落とし居間へ向かう。卓袱台の横には任務へ向かう時に使うリュックが置いてあり、カカシさんがその中にせっせと荷物を詰めていた。愛読書のイチャパラ。支給服、持ち込んでいた本や巻物に大事な写真立てまで。寝室からウッキーくんの鉢を持ってくると、部屋中を見回している。一体何をやっているのだろう。目の前の光景を理解出来ずに立ち尽くしてしまった。固まる俺を放置したままリュックを閉じて背負う。ウッキーくんを抱え直してようやくこちらを向いた。帰ってきてから目が合ったのは初めてだ。
「出て行きます。残ってる荷物は処分してください。俺達別れましょう」
「はい?」
「じゃ」
 一方的に宣言すると、そのままさっさと出て行ってしまった。あまりの早業にこちらの処理が追いつかない。カカシさんは自分の荷物を全部まとめて出て行って、俺と別れるって言ってたよな。それってどういうことだ。腕を組んで考える。が、やっぱり意味が分からない。もう一度、始めから。えーっと、と考えはじめた途端、焦げ臭い臭いが流れてきた。そういえば、と台所へ向かう。火を消し忘れた肉じゃがの鍋から煙が上がっていた。シンクに放り込んで水をかける。
「忘れてたな」
 換気扇を回しながら考える。俺は何をしていたんだっけ。洗濯物を畳んで夕飯を温め直してたらカカシさんが帰ってきて、おかえりなさいって言ったら。ああそうだった。恋人が家を出て行って俺は振られたんだった。
「なんで?」
 そんなことを聞かれても、と焦げたじゃが芋がプカリと浮かんだ。



 中忍仲間じゃないんだし、無いだろうなとは思ってた。でも上忍同士のお巫山戯ならもっとえげつない可能性もあるよな、ひょこっと帰ってくるかもなんて考えてみたり。楽観的でいられたのはもうひと月も前の話。カカシさんが出て行ってから一ヶ月経つが、家はもちろん受付でだって会うことが無かった。こっそり調べたらちゃんと任務に行っていることは分かったので、徹底的に避けられているらしい。理由も告げず出て行った恋人に、この狭い里の中で避けられ続けている。俺はアカデミー、受付、本部棟、演習場、商店街とあらゆる所を歩き回っているので、掠りもしないというのは相当気を使って逃げ回っている証だ。そこまで嫌われるようなことをしたのだろうか。
「わっかんねえなあ」
 がぶりとおにぎりにかぶりつく。もぐもぐと口を動かしながら考えてみた。朝家を出て行く時、卓袱台の上へコップを置きっぱなしにするのが嫌だったんだろうか。それともすぐに洗い物をしないで溜めちゃう所? 或いは食器棚の引き出し一個が丸々カップラーメンとインスタントラーメンで埋まってる所か。夜の生活についてなら、不満があるのはこっちも同じだ。上忍のバカみたいな体力についてくのはいつだって必死だった。明日は体術の授業が、とか一日受付で座ってなきゃいけないんで、とか言っても、「あと一回」なんて言いながら好き放題しやがって。好き、可愛いとか言いながら嬉しそうに擦り寄ってくるから、拒めないのをいいことに結局向こうの言いなりだった。この点に関しては俺がキレたって良かったんだぞ。この点だけに関しては、だけど。
 友達だったはずなのに突然告白してきた人は、勝手に家に転がりこんできた。考える間もなく翻弄され続け、あっという間に生活の一部となったのに去る時は一瞬だ。何が悪かったのか、どうしていきなり決めたのか全く分からないまま時間だけが経ってゆく。家に残されたのは、彼が使っていた歯ブラシと食器だけ。湯呑みを覗き込んでみたら茶渋で真っ黒、なんてこともなくやっぱり理由は分からない。
「……分からない」
 梅干しが酸っぱすぎてちょっと涙が出た。



 ビール美味い。から揚げ最高、焼鳥天才、海藻サラダを信じてる。何を飲み食いしたって、若布が全部無かったことにしてくれるはずだ。腹の底から笑い、語り、仲間との飲み会は本当に楽しい。笑いすぎて浮かんだ涙を拭きながらまた笑う。今頼んだお代わりは何杯目だっただろうか。いかん、もう覚えてねえわ。バシンと肩を叩かれ俺も! と返ってくるからまた笑う。
「イルカとこうやって飲むのもひっさしぶりだよなあ!」
「そうだなー。最近付き合い悪かっただろお前」
「悪い」
「今日も駄目元だったんだぞ。即答したからビビったわ。なん、ひょっとして彼女と別れたのか?」
「当たり」
「へ?」
「振られたあ! はははっ」
「よっしゃ飲め!」
 ガチンとジョッキをぶつけられてビールが零れる。拭きながらまた笑う。すぐに空になってまたお代わりを頼んだ。ビールと一緒にやってきたサイコロステーキは、酒に弱くて早々に烏龍茶へ切り替えたヤツからだろう。仲間との飲み会は楽しい、そして温かい。

 じゃあな、と大きく手を振って歩き出す。夜風は気持ち良い、星は綺麗、上がったテンションはそのままにずんずん歩いていたら、ポツンと外灯の下に佇む人を発見してしまった。何で見つけちゃうかなあと溜息が浮かび、よっしゃ逃がすな! と鼻が膨らみ、その二つに隠れるようにしてちょっとだけ、会いたかったが顔を出す。止まった足をもう一度動かした。まだ、どれが相応しいかは分からない。
「こんばんは。せんせ、良い気分?」
「はいっ! 同僚と飲んできました。カカシさんは?」
「俺もね、ちょっとだけ。一人だけど」
「そうですか!」
「テンション高いね。ガイみたい」
「ありがとうございますっ!」
「あはは」
 笑う顔も穏やかな声も、前と一緒だ。変わったのは、二人の関係と距離だけ。いつもぴったり側にいたけれど、今は向かい合っている。とても自然に立っているので、何で? と言えなかった。この距離が彼にとって自然なのだと分かってしまったから。
「何飲んだの?」
「劔ヶ峰と残月! あとはビールビールビールです」
「俺残月は飲んだこと無いな。美味しかった?」
「はい! 柔らかいのにちょっと癖があって何とも言えんです」
「じゃ、今度一緒に飲みに行こう」
「……」
「ダメ?」
「……いえ」
「じゃ、約束ね」
「はい」
 ひらりと手を振って背中を向ける。遠ざかる後ろ姿へ、何を言えば答えが分かるのだろう。いくら考えても分からなかったので、出てきたのは前と同じ言葉だけだった。
「なんで?」
2021/08/29(日) 16:56 ヒトリ COMMENT(0)
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