◆各種設定ごった煮注意
解説があるものは先にご確認ください
動物は飼ったことがない。
「……ごめん痛い?」
「平気です」
「じゃもっと強くしていい?」
「はい。……っ!」
「大丈夫?」
「大丈夫ですって」
味噌汁はじゃがいも、大根……大根……は、しらすおろし。あー肉がいいな。めんどくさいから焼肉のタレ。よし。
「はい、ちょうどね。あれ?先生どうしたのそれ」
「あーちょっと」
「イタズラ坊主共を相手にしてると生傷が絶えないってか?大変だねえ。それともこっち?」
八百屋の親父さんがにゃあおーんと鳴いてみせる。精一杯の高い声はひっくり返った妙などら声。
「あはは。そうだなあー……」
一体これは、何の傷。名付けるには難しすぎて、愛想笑いで手を上げる。
男の勲章なら言うことなし。愛の証でも問題ない。でもきっとこれは、我慢の欠片。何度も確かめながら牙を立て、少しずつ俺に欠片を刻み込むでかい猫は、今日も来てくれるだろうか。
ただいまと言うにはまだ早く、お邪魔しますには馴染みすぎだ。恋人という名前をぶら下げた男は、遥か上空を空中ブランコで行ったり来たり。ぐんと近づいたと思ったら捕まえる前に近づいた時を上回る速さで引いてゆく。難しそうな人だなと思っていた。だからこちらも時間をかけるつもりではいたけれど、想定の数倍はかかりそうだ。ただこれまで見たどの男よりも整った顔立ちは鑑賞するに十分な造形をしており、それだけで心を癒す。
ならまずそれでヨシとしようじゃないか。彼は野良猫のようなもの。気まぐれで屋根を求めてきたって、それを常と勘違いしてはいけないのだと早々に学んだ。だけどただひとつ、どうしても抗えない欲求を俺の体に残す。
「せんせ、いい?」
「どうぞ」
「……もう薄くなってる」
「仕方ないですよ。むしろ治らなかったら一大事でしょう。病院に駆け込まなくちゃ」
「うん」
心配そうな瞳には後悔が滲んでいるけれど、そのすぐ後ろに拭いきれない大きな落胆が明滅する。彼は俺の想像よりももっと複雑でもっと貪欲らしいが、絶対に見せようとしない。大好きですよって言いながらすぐにいなくなれますよって顔をして笑う。ポーカーフェイスのつもりでも、くるくると色を変える瞳がしっかり教えてくれた。多分、俺の見立ては間違ってない。ちょっと自信があるのだ。まあ、動物は飼ったことがないんだけど。
真夜中、ふいに冷たさを感じて目が覚めた。ベッドの隣が空いていて、居間から光が漏れている。
「カカシさん」
「ごめん起こしちゃった?呼出しが」
「いえ」
ベストを着た彼が額当てを手に取って片目を隠した。上忍はたけカカシの出来上がり。迷いながらいいですか?と聞く瞳も大丈夫?と聞きながらうっすら細められる瞳もなくて、目の前の男は野良猫なんか知らないって顔をしてる。だったらいいんじゃないか、と思ってしまった。
「帰ってきます?」
「え?」
「任務が終わったら、ここへ、帰ってきます?」
「……」
約束はしたことがなかった。いつもふらりと現れたし、黙って入れてやったし、これが彼の望む「恋人」なのだろうなと自分自身に思いこませていた。けどそんな自分は好きじゃないのだ。俺はいつだって好きな人を好きでいたいし、本当はカカシさんだってそう思ってるって、肩の歯型がじんじん訴える。それなら一緒に揺られよう。
彼と逃げてゆく空中ブランコに、俺も一緒に飛び乗った。彼はもう逃げられない。静寂のなか返事を待つ耳に、コツコツと固い音。
「……行きます」
玄関ではなく窓から飛んでった男は、さすが野良だなあって感じだ。
「行ってきますじゃねえのかよ」
精一杯の物言いが聞こえたかは分からん。
茄子……味噌汁かなあ。でも本当は天ぷらの方が好きなんだけど。麻婆茄子でもいい。けど、いま家で天ぷら食ってたらどう言い訳したって逃げられるだろう。それは嫌だから、味噌汁。こっち我慢するからメインはカツ丼にしよ。肉屋でフンパツしてわらじとんかつを買った。二枚。いーの、俺は腹いっぱい食べたいの。
香ばしい匂いを纏わせて家へ帰る。昨日たまご買い足しといて良かったーと、階段を駆け上がる足取りも軽い。副菜いるかな?きのうの大根がまだー。浮かれた足取りが階段に張り付いた。あと一段上ればいいけど、その一段の向こうに野良猫がうずくまってる。膝に伏せていた頭が上がり、ゆらりと揺れる瞳が俺を見る。
「先生」
「帰ってきたんですか」
「うん。……でも、まだ『ただいま』って言っていいのか分からない。ここへ帰るって決めていいのか分からない」
忘れないで。思い出して。消えないで消えないで消えないで。
不安や我慢を全部閉じ込めて、牙を立てては明日に怯える。本心では分かっているのだ。でも居場所を認めてしまったら、いつかなくなる未来が迫ってくる。
どうすればいいんだろうな。俺にだって分からない。俺は大丈夫ですよって笑って、ここにいるしかできないじゃねえか。
「カカシさん」
ほかほかのとんかつが入った温かいビニール袋を突き出す。つられたように立ったカカシさんがこちらへ歩いてきた。俺は最後の一段を越えて彼の正面に立つ。伸ばされた手を掴んで引き寄せると、ベストの襟を思い切り引っ張ってやった。バツン!と響いた音に驚く彼へニッコリ笑い、でかい口を開けて肩口に噛み付いた。
「いっ!!」
いいですか?なんて聞かねえわ。大丈夫ですかも知らん。分からないってんなら体に刻んでもらおうか。これが正しいかは俺にだって分かんねえけど、とりあえず目に見える。
「カツ丼、です」
ふんと鼻息を吹き出してぐいと口元を拭う。呆気に取られていたカカシさんが俺を見て、ビニール袋を見て、ぽつりと小さく「はい」と言った。
2021/03/07
「……ごめん痛い?」
「平気です」
「じゃもっと強くしていい?」
「はい。……っ!」
「大丈夫?」
「大丈夫ですって」
味噌汁はじゃがいも、大根……大根……は、しらすおろし。あー肉がいいな。めんどくさいから焼肉のタレ。よし。
「はい、ちょうどね。あれ?先生どうしたのそれ」
「あーちょっと」
「イタズラ坊主共を相手にしてると生傷が絶えないってか?大変だねえ。それともこっち?」
八百屋の親父さんがにゃあおーんと鳴いてみせる。精一杯の高い声はひっくり返った妙などら声。
「あはは。そうだなあー……」
一体これは、何の傷。名付けるには難しすぎて、愛想笑いで手を上げる。
男の勲章なら言うことなし。愛の証でも問題ない。でもきっとこれは、我慢の欠片。何度も確かめながら牙を立て、少しずつ俺に欠片を刻み込むでかい猫は、今日も来てくれるだろうか。
ただいまと言うにはまだ早く、お邪魔しますには馴染みすぎだ。恋人という名前をぶら下げた男は、遥か上空を空中ブランコで行ったり来たり。ぐんと近づいたと思ったら捕まえる前に近づいた時を上回る速さで引いてゆく。難しそうな人だなと思っていた。だからこちらも時間をかけるつもりではいたけれど、想定の数倍はかかりそうだ。ただこれまで見たどの男よりも整った顔立ちは鑑賞するに十分な造形をしており、それだけで心を癒す。
ならまずそれでヨシとしようじゃないか。彼は野良猫のようなもの。気まぐれで屋根を求めてきたって、それを常と勘違いしてはいけないのだと早々に学んだ。だけどただひとつ、どうしても抗えない欲求を俺の体に残す。
「せんせ、いい?」
「どうぞ」
「……もう薄くなってる」
「仕方ないですよ。むしろ治らなかったら一大事でしょう。病院に駆け込まなくちゃ」
「うん」
心配そうな瞳には後悔が滲んでいるけれど、そのすぐ後ろに拭いきれない大きな落胆が明滅する。彼は俺の想像よりももっと複雑でもっと貪欲らしいが、絶対に見せようとしない。大好きですよって言いながらすぐにいなくなれますよって顔をして笑う。ポーカーフェイスのつもりでも、くるくると色を変える瞳がしっかり教えてくれた。多分、俺の見立ては間違ってない。ちょっと自信があるのだ。まあ、動物は飼ったことがないんだけど。
真夜中、ふいに冷たさを感じて目が覚めた。ベッドの隣が空いていて、居間から光が漏れている。
「カカシさん」
「ごめん起こしちゃった?呼出しが」
「いえ」
ベストを着た彼が額当てを手に取って片目を隠した。上忍はたけカカシの出来上がり。迷いながらいいですか?と聞く瞳も大丈夫?と聞きながらうっすら細められる瞳もなくて、目の前の男は野良猫なんか知らないって顔をしてる。だったらいいんじゃないか、と思ってしまった。
「帰ってきます?」
「え?」
「任務が終わったら、ここへ、帰ってきます?」
「……」
約束はしたことがなかった。いつもふらりと現れたし、黙って入れてやったし、これが彼の望む「恋人」なのだろうなと自分自身に思いこませていた。けどそんな自分は好きじゃないのだ。俺はいつだって好きな人を好きでいたいし、本当はカカシさんだってそう思ってるって、肩の歯型がじんじん訴える。それなら一緒に揺られよう。
彼と逃げてゆく空中ブランコに、俺も一緒に飛び乗った。彼はもう逃げられない。静寂のなか返事を待つ耳に、コツコツと固い音。
「……行きます」
玄関ではなく窓から飛んでった男は、さすが野良だなあって感じだ。
「行ってきますじゃねえのかよ」
精一杯の物言いが聞こえたかは分からん。
茄子……味噌汁かなあ。でも本当は天ぷらの方が好きなんだけど。麻婆茄子でもいい。けど、いま家で天ぷら食ってたらどう言い訳したって逃げられるだろう。それは嫌だから、味噌汁。こっち我慢するからメインはカツ丼にしよ。肉屋でフンパツしてわらじとんかつを買った。二枚。いーの、俺は腹いっぱい食べたいの。
香ばしい匂いを纏わせて家へ帰る。昨日たまご買い足しといて良かったーと、階段を駆け上がる足取りも軽い。副菜いるかな?きのうの大根がまだー。浮かれた足取りが階段に張り付いた。あと一段上ればいいけど、その一段の向こうに野良猫がうずくまってる。膝に伏せていた頭が上がり、ゆらりと揺れる瞳が俺を見る。
「先生」
「帰ってきたんですか」
「うん。……でも、まだ『ただいま』って言っていいのか分からない。ここへ帰るって決めていいのか分からない」
忘れないで。思い出して。消えないで消えないで消えないで。
不安や我慢を全部閉じ込めて、牙を立てては明日に怯える。本心では分かっているのだ。でも居場所を認めてしまったら、いつかなくなる未来が迫ってくる。
どうすればいいんだろうな。俺にだって分からない。俺は大丈夫ですよって笑って、ここにいるしかできないじゃねえか。
「カカシさん」
ほかほかのとんかつが入った温かいビニール袋を突き出す。つられたように立ったカカシさんがこちらへ歩いてきた。俺は最後の一段を越えて彼の正面に立つ。伸ばされた手を掴んで引き寄せると、ベストの襟を思い切り引っ張ってやった。バツン!と響いた音に驚く彼へニッコリ笑い、でかい口を開けて肩口に噛み付いた。
「いっ!!」
いいですか?なんて聞かねえわ。大丈夫ですかも知らん。分からないってんなら体に刻んでもらおうか。これが正しいかは俺にだって分かんねえけど、とりあえず目に見える。
「カツ丼、です」
ふんと鼻息を吹き出してぐいと口元を拭う。呆気に取られていたカカシさんが俺を見て、ビニール袋を見て、ぽつりと小さく「はい」と言った。
2021/03/07
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