◆各種設定ごった煮注意
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体の痛みは鎮痛剤で誤魔化した。察する者などいないだろうと思っていても、軋む体を悟られたくない。水面下の足掻きを支えていたのはプライドに他ならなかった。昨夜は投げ捨てて楽になりたいと願っていたものが今日の俺を支えている。ままならなさに苛立ち、落胆し、踏み潰されて。そうだ人生とはこういうものだったと思い出す。まだ二十と少しを生きただけでも存分に味わってきた、覚えのある苦味が甦る。
昼を食べる気分にもなれず、人気のない職員室で一人、机に頬杖をついていた。窓から差し込む陽が隅に置いた小瓶にあたり、プリントの山を橙色に染めている。広口のガラス瓶の中では、橙色の花が鮮やかに咲き誇っていた。花を模った飴細工は、中忍となった元生徒からの土産物だ。花びらを一枚ずつ折って食べるようにと教える得意気な顔を思い出すと、重かった体が軽くなり頬が緩む。
時折懐かしそうな顔をしてアカデミーを覗きにくる子ども達がいる。先生いたの?と言いながら笑う彼らは、俺と同じベストを着けている者も多かった。
カズラもその内の一人だ。まだ教師になりたてだった俺を手こずらせてくれた連中の一人だが、今では忍として里の外を駆け回っている。つい先日も久々に顔を見せたと思ったら、グルグル巻きにした手ぬぐいを大仰なほどそーっとポーチから取り出した。
「先生お土産!」
「えーっと、洗濯してから使わせてもらうな?」
「違うよ!中を見て中!分かってるくせに」
二人で笑いながら手ぬぐいを解いてゆくと、蜜柑のように鮮やかな橙色の花が現れた。透き通った美しさに目を奪われる。
「綺麗だな……飴細工か」
「ナタの村へ行ってきたんだよ。こないだの大雨で川の流れが変わったから見て欲しいって」
「ああ、ウコギ上忍へお渡しした任務だな」
「うん。上流で大岩が崩れかけててさ。任務自体は大したことなかったんだけど、みんな喜んでくれてお土産もらったんだ。大人達は嬉しそ~うに酒瓶抱えてたのに俺はダメって」
「当たり前だろ」
「代わりに飴細工をもらった。白いのと橙色のと一個ずつ。すげー綺麗だから一個先生にあげる」
「いいのか?」
「じゃなきゃ持ってこないって。この橙色の方は、ことこ飴って言うんだって。子どもしか食べちゃダメっていうから、先生にピッタリだろ」
「どういう意味だ」
「まだ鼻血ブーしてんの?」
「おい!」
「はははっ」
大口を開けて笑う顔は変わらないのに、胸の下にあった頭はいつの間にか肩の方が近い。依頼者が喜んで土産をくれたのならば、しっかりと任務を勤め上げてきた証拠だろう。体だけでなく、中身も成長していると分かり目頭が熱くなる。
「ありがとう。大事にするな」
「大事にするより食べて。これ花びらの根元から一枚ずつ折れるようになってるんだよ。甘くて美味かった」
ほらほらと勧められて瓶の中に指を入れた。開いた花弁を一枚手折る。澄んだ高い音が響き、指先には鮮やかな花弁が一欠片。口に入れると優しい甘味が広がった。
「美味いな」
「でしょ?」
ぐしゃぐしゃと頭を撫で回すと、昔と同じ照れくさそうな瞳が見上げている。堪らず鼻をすすり上げ、大きな声で笑われた。
あの瞬間まで戻りたい。胸が痛くなるほどに嬉しかった。
幸せな気持ちでついた帰り道、カカシさんに会ったのだ。興奮のまま話しかけたら、つられたように笑いながら立ち止まり、ねえ、と手を引かれた。
「先生、もっとゆっくり聞かせて。そんな嬉しそうなのに、ちゃんと聞けないのは勿体ないよ」
俺が感じていた喜びをしっかり受けとめてくれたのが分かり、大きく頷いた。だから、いつものように酒とつまみを買い込んで俺の家へ向かった。とっておきの話もあって、楽しい夜になるはずだったのに突然彼が。
ヒュウと喉が鳴って、慌てて天を仰ぐ。昨日の夜を思い出すだけで息が出来なくなる。きっとまだそれほど時間が経ってないせいだ。こんなことはよくある話で、特別なことではない。
ぐちゃぐちゃに踏みつけられた自分が立ち直るには、少し時間を見た方が良い。時が経てば落ち着くはず。焦るなと唱えてゆっくりと呼吸を整える。口に残った甘味が、記憶に残る鉄の味を散らしてくれた。
過去の自分に慰められ、一日は終わろうとしていた。少し体を動かすだけで、鈍い痛みが真っ直ぐに突き抜ける。薬が切れた状態でこの程度なら、明日はもっと楽に動けるだろう。思ったよりも軽症にほっとしつつ、残業を諦めて職員室を出た。
無理な体勢を強いられた上、自分よりも体格の良い男に責められ続けたのだ。発熱や体が動かせない場合もあり得ただろう。受付はなんとかなってもアカデミーはそうはいかない。数日の無理は覚悟していたので、どうやり過ごそうかとそればかり考えていた。憂いが一つ消え格段に気持ちが明るい。
出来ることならこのまま帰りたいが、念のために薬を買い足して置くべきか。悩みつつも足は躊躇いなく進む。突然の出来事を隠し通せるか分からず、怯えながら進んでいた廊下と同じだとは思えないほどだ。人気のない廊下は朝よりも暗いけれど、進む足取りは軽かった。多少の痛みを無視しても、早く家へ帰って休みたい。そうすればきっと、明日は体についてさほど気にする必要も無いだろう。
安心しきっていた目に突如人影が割り込んだ。進む先に現れた影は、窓から差し込む夕日の中へ歩み出る。きらりと光る銀髪に全身が固まった。
完全に油断していた体は、不意を突かれた衝撃でちぐはぐに動き始める。逸る鼓動と一斉に吹き出す汗。視界が歪むほど目が熱いのに、指先は震えるほど冷たい。頭の中で誰かが逃げろと喚き続けるが、両足は張り付いたように爪先すら動かなかった。
来るな、と言おうとして吸ったはずの息が全く入って来ない。深く水中に沈んだように重苦しく纏わり付く空気の中、必死に口だけをパクパク開く。叫ぶつもりで開いたつもりだったのに、薄く開いた唇の隙間からは細くヒューと音が鳴っただけ。
――怖い。
確実に分かったのはそれだけで、後は自分がどうなっているのかも分からない。俺はちゃんと立っているのだろうか。ついさっきまで軽い足取りで進んでいた廊下にちゃんといるのか。
確かめようと目線を動かすことさえ出来なかった。目を逸らしたら、その瞬間昨日のように襲いかかられるのではないかと体が竦む。あの髪を、こちらを見つめる人を見たくないのに、目を瞑ることも出来ない。
正反対の感情で揺れる心は体のコントロールを失った。好き勝手に暴れる体を制御できず、顎先から汗が滴り落ちる。
「先生」
発せられた音を全身が拒否した。大きく跳ね上がった心臓が飛び出さないようにベストの上から両手で強く押さえつける。力を入れて押さえつけているはずなのに、押し当てた手がぶるぶると震えていた。
「く、」
来るなと言おうとして舌を嚙んだ。口の中に広がる鉄臭さに吐き気がする。歯の根が合わないほどの恐怖を感じているというのに、抵抗しようという気持ちは怒りを纏う。伝わるかは分からない。伝わった所で意味があるのかも分からないが。
言いかけの先を問わず見つめるだけだった人は、突如音も無く搔き消えた。瞬きすら止まっていた体から力が抜けて立っていられない。よろりと一歩左へ踏みだし、勢いのまま柱に体を寄せる。凭れた柱に沿ってずるずると滑り落ち、冷たい床にへたり込んだ。今さらながらに流れてきた涙を必死で拭う。か細い音しか吐かなかった喉が働き始め、大きく喘ぎながら息を吸った。
恐怖などとうに知っていると思っていた。忍として死線をくぐり抜けた経験は数え切れないほどだ。それでも彼から感じる恐怖は、未知の痛みであるかのように全身を震わせる。嗚咽を漏らす自分が悔しくて堪らなくても、それ以外何も出来なかった。
昼を食べる気分にもなれず、人気のない職員室で一人、机に頬杖をついていた。窓から差し込む陽が隅に置いた小瓶にあたり、プリントの山を橙色に染めている。広口のガラス瓶の中では、橙色の花が鮮やかに咲き誇っていた。花を模った飴細工は、中忍となった元生徒からの土産物だ。花びらを一枚ずつ折って食べるようにと教える得意気な顔を思い出すと、重かった体が軽くなり頬が緩む。
時折懐かしそうな顔をしてアカデミーを覗きにくる子ども達がいる。先生いたの?と言いながら笑う彼らは、俺と同じベストを着けている者も多かった。
カズラもその内の一人だ。まだ教師になりたてだった俺を手こずらせてくれた連中の一人だが、今では忍として里の外を駆け回っている。つい先日も久々に顔を見せたと思ったら、グルグル巻きにした手ぬぐいを大仰なほどそーっとポーチから取り出した。
「先生お土産!」
「えーっと、洗濯してから使わせてもらうな?」
「違うよ!中を見て中!分かってるくせに」
二人で笑いながら手ぬぐいを解いてゆくと、蜜柑のように鮮やかな橙色の花が現れた。透き通った美しさに目を奪われる。
「綺麗だな……飴細工か」
「ナタの村へ行ってきたんだよ。こないだの大雨で川の流れが変わったから見て欲しいって」
「ああ、ウコギ上忍へお渡しした任務だな」
「うん。上流で大岩が崩れかけててさ。任務自体は大したことなかったんだけど、みんな喜んでくれてお土産もらったんだ。大人達は嬉しそ~うに酒瓶抱えてたのに俺はダメって」
「当たり前だろ」
「代わりに飴細工をもらった。白いのと橙色のと一個ずつ。すげー綺麗だから一個先生にあげる」
「いいのか?」
「じゃなきゃ持ってこないって。この橙色の方は、ことこ飴って言うんだって。子どもしか食べちゃダメっていうから、先生にピッタリだろ」
「どういう意味だ」
「まだ鼻血ブーしてんの?」
「おい!」
「はははっ」
大口を開けて笑う顔は変わらないのに、胸の下にあった頭はいつの間にか肩の方が近い。依頼者が喜んで土産をくれたのならば、しっかりと任務を勤め上げてきた証拠だろう。体だけでなく、中身も成長していると分かり目頭が熱くなる。
「ありがとう。大事にするな」
「大事にするより食べて。これ花びらの根元から一枚ずつ折れるようになってるんだよ。甘くて美味かった」
ほらほらと勧められて瓶の中に指を入れた。開いた花弁を一枚手折る。澄んだ高い音が響き、指先には鮮やかな花弁が一欠片。口に入れると優しい甘味が広がった。
「美味いな」
「でしょ?」
ぐしゃぐしゃと頭を撫で回すと、昔と同じ照れくさそうな瞳が見上げている。堪らず鼻をすすり上げ、大きな声で笑われた。
あの瞬間まで戻りたい。胸が痛くなるほどに嬉しかった。
幸せな気持ちでついた帰り道、カカシさんに会ったのだ。興奮のまま話しかけたら、つられたように笑いながら立ち止まり、ねえ、と手を引かれた。
「先生、もっとゆっくり聞かせて。そんな嬉しそうなのに、ちゃんと聞けないのは勿体ないよ」
俺が感じていた喜びをしっかり受けとめてくれたのが分かり、大きく頷いた。だから、いつものように酒とつまみを買い込んで俺の家へ向かった。とっておきの話もあって、楽しい夜になるはずだったのに突然彼が。
ヒュウと喉が鳴って、慌てて天を仰ぐ。昨日の夜を思い出すだけで息が出来なくなる。きっとまだそれほど時間が経ってないせいだ。こんなことはよくある話で、特別なことではない。
ぐちゃぐちゃに踏みつけられた自分が立ち直るには、少し時間を見た方が良い。時が経てば落ち着くはず。焦るなと唱えてゆっくりと呼吸を整える。口に残った甘味が、記憶に残る鉄の味を散らしてくれた。
過去の自分に慰められ、一日は終わろうとしていた。少し体を動かすだけで、鈍い痛みが真っ直ぐに突き抜ける。薬が切れた状態でこの程度なら、明日はもっと楽に動けるだろう。思ったよりも軽症にほっとしつつ、残業を諦めて職員室を出た。
無理な体勢を強いられた上、自分よりも体格の良い男に責められ続けたのだ。発熱や体が動かせない場合もあり得ただろう。受付はなんとかなってもアカデミーはそうはいかない。数日の無理は覚悟していたので、どうやり過ごそうかとそればかり考えていた。憂いが一つ消え格段に気持ちが明るい。
出来ることならこのまま帰りたいが、念のために薬を買い足して置くべきか。悩みつつも足は躊躇いなく進む。突然の出来事を隠し通せるか分からず、怯えながら進んでいた廊下と同じだとは思えないほどだ。人気のない廊下は朝よりも暗いけれど、進む足取りは軽かった。多少の痛みを無視しても、早く家へ帰って休みたい。そうすればきっと、明日は体についてさほど気にする必要も無いだろう。
安心しきっていた目に突如人影が割り込んだ。進む先に現れた影は、窓から差し込む夕日の中へ歩み出る。きらりと光る銀髪に全身が固まった。
完全に油断していた体は、不意を突かれた衝撃でちぐはぐに動き始める。逸る鼓動と一斉に吹き出す汗。視界が歪むほど目が熱いのに、指先は震えるほど冷たい。頭の中で誰かが逃げろと喚き続けるが、両足は張り付いたように爪先すら動かなかった。
来るな、と言おうとして吸ったはずの息が全く入って来ない。深く水中に沈んだように重苦しく纏わり付く空気の中、必死に口だけをパクパク開く。叫ぶつもりで開いたつもりだったのに、薄く開いた唇の隙間からは細くヒューと音が鳴っただけ。
――怖い。
確実に分かったのはそれだけで、後は自分がどうなっているのかも分からない。俺はちゃんと立っているのだろうか。ついさっきまで軽い足取りで進んでいた廊下にちゃんといるのか。
確かめようと目線を動かすことさえ出来なかった。目を逸らしたら、その瞬間昨日のように襲いかかられるのではないかと体が竦む。あの髪を、こちらを見つめる人を見たくないのに、目を瞑ることも出来ない。
正反対の感情で揺れる心は体のコントロールを失った。好き勝手に暴れる体を制御できず、顎先から汗が滴り落ちる。
「先生」
発せられた音を全身が拒否した。大きく跳ね上がった心臓が飛び出さないようにベストの上から両手で強く押さえつける。力を入れて押さえつけているはずなのに、押し当てた手がぶるぶると震えていた。
「く、」
来るなと言おうとして舌を嚙んだ。口の中に広がる鉄臭さに吐き気がする。歯の根が合わないほどの恐怖を感じているというのに、抵抗しようという気持ちは怒りを纏う。伝わるかは分からない。伝わった所で意味があるのかも分からないが。
言いかけの先を問わず見つめるだけだった人は、突如音も無く搔き消えた。瞬きすら止まっていた体から力が抜けて立っていられない。よろりと一歩左へ踏みだし、勢いのまま柱に体を寄せる。凭れた柱に沿ってずるずると滑り落ち、冷たい床にへたり込んだ。今さらながらに流れてきた涙を必死で拭う。か細い音しか吐かなかった喉が働き始め、大きく喘ぎながら息を吸った。
恐怖などとうに知っていると思っていた。忍として死線をくぐり抜けた経験は数え切れないほどだ。それでも彼から感じる恐怖は、未知の痛みであるかのように全身を震わせる。嗚咽を漏らす自分が悔しくて堪らなくても、それ以外何も出来なかった。
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