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     ◆◆◆


 いつの間にか雨は小降りになり、バタバタと騒がしかった屋根を叩く音も消えていた。天から細い糸を引くようにしとしとと降り続ける雨は、優しい響きを伝えている。腕の中の固まりがもぞもぞと動いて上半身を起こし、ぼんやりと辺りを見回した後はっとしたように毛布に潜り込んだ。
「せーんせ。全部取ったら寒いよ」
「すっ、すみません」
 くるりと振り返った顔が真っ赤だ。端を持ち上げて滑り込むとくっつく素肌が温かい。腰へ回した手を太ももへ滑らせたら手の甲を抓られた。
「もう触らないで下さいよ。走れなくなる」
「朝まではまだ時間があるよ。ね?」
 ちゅ、ちゅと額や頬にキスをして宥めたが、ぐいと顎を押されてしまった。抑える手を捉まえて手のひらに唇を寄せると逆にがしっと顔を挟み込まれる。むっとした顔がいい加減にしろと言っていた。
「雨が止んだら出ます。帰還が遅れると受付が困る。だから……雨が止むまで」
 小さくなる語尾に胸が騒いだ。顎へ手を添えて、俯いていた顔を無理矢理上げさせる。視線を合わせて逸らさない。真っ直ぐに見つめ合ってはいるが、黒い瞳が揺れている。
「雨が止んだら一緒に帰るんだよね。俺の気持ちは分かってくれたんでしょう? これからも一緒にいて下さい」
 気持ちを伝えて抱き合った。心も身体も満たされたと感じたのは俺だけなのか。すぐに返事が返ってくると思っていたのに沈黙したまま、表情を強張らせている。今度こそちゃんと伝えられたはずだ。お互いの気持ちを確かめることが出来たはずなのに、何故躊躇っているのか。俺に言葉が足りなかったように先生だって言葉が足りない。以前は不安に思っていたとしても、今の俺の気持ちを疑う必要はないはずだ。ちゃんと教えてもらいたい。一晩だけの恋人ではなく、ずっと一緒にいる為に。
「先生、全部教えて下さい。俺はあなたといつまでも一緒にいたいと思ってる。何を思っているのか、何が引っ掛かるのかちゃんと教えて。どうして頷いてくれないの」                                                        
「言ったら……、その気持ちが変わるかも」
 不安に揺れる瞳の奥に、それでもと願う光りが確かに見えた。二人の願いが同じならきっと道はある。片足を先生の腰の上に載せてぐっと引き寄せた。
「ちょっ、何するんですか」
「逃げそうだなって思ったから捉まえとこうと思って」
「だからってこんな」
 密着した下半身にかーっと耳まで真っ赤になった。ほんの少し前まではもっと淫らな行為に耽っていたのに、可愛い人だなとニヤついてしまう。思わずキスをすると今度は鼻を摘ままれた。
「分かりました! とりあえず着替えましょう」
「このままでも良いでしょう」
「ダメです!!」
 絡めていた足を強引に外すとするりと腕の中から抜け出してしまった。彼を掴まえるのは中々に大変なようだ。溜息をついて毛布から起き上がった。

 きっちりとアンダーを着込んでこぼれ落ちる横髪を耳に掛ける。色っぽいなあとぼんやり眺めていると、顔めがけてシャツが飛んできた。真っ赤な顔で睨んでいるので大人しく袖を通す。あなたは分かってないんだろう。耳まで赤くして眉をつり上げる顔や、いい加減にしろと呆れる顔をずっと見たいと思っていた。苦しい顔やパッとした笑顔は見たことがあるけれど、苛立ちや怒りを遠慮なく曝け出すイルカ先生は俺の前にはいなかった。厚く覆われていた膜が開いてゆくように、色んな表情を見せ始めた彼から目が離せない。いつまでだって眺めていられるのだ。このままだって良いくらいだけど、話を聞かなければ一緒にいてもらえない。畳んだ毛布を端に寄せ、正座をする先生と向かい合った。
「俺に掛かっていた術は時限式で、時間が経てば消えるものでした。綱手様は術の中身を知っておられたようで、だからそのままで良いと仰ったんです」
「一定期間だけ記憶をなくしたかったんですか?」
「記憶をなくす、というのは手段の一つでしかないんです。目的を達成する為の過程でしかありません」
 どうも歯切れが悪い。膝の上で固めた拳がソワソワと股の上を言ったり来たりしている。まさか、とは思うのだが。
「先生浮気しましたか」
「はっ!?」
「俺が里を空けている間寂しくて浮気して、その相手を好きになりましたか。元々俺達の関係を知っている人間なんかいなかったんだから、あなたが突っぱねたら俺にはどうしようもない。記憶を失ったといって新しい恋人の元へ走ろうかと」
「んなわけあるかっ!!」
 ダン!! と音を立てて右膝を踏み出す。ふざけるなと怒りを露わにした顔を突き出すので、両手で包み込んでやった。ともすれば逃げようとする瞳は、しっかり掴まえていないとすぐに真意を隠してしまう。ぱっと見せた感情をすぐに遠慮がちな笑みの後ろに追いやって、見えないように包み隠す姿を思い出した。威勢の良い所は先生のようだし、見たことのない表情をするので別人のように感じる瞬間もあるけれど、やはり目の前の人は彼なのだな、と思う。
「じゃあちゃんと言って下さい。あなたの目的は何?」
 唇を噛んで俯こうとするので柔らかく啄み、舌を出して引き攣る唇を舐める。ぴくっと震えた頬がぎゅっと締まって噛み締める力を強くするので、ならば根比べだと何度も音を立てて啄んだ。
「言います! だからもう放して」
 耐えられないというように目を瞑って叫ぶ姿に、ゾクゾクとした震えが背筋を通って突き抜けた。後頭部に手を当てて固定すると腰を抱き寄せて噛み付くように口を塞ぐ。ぱしぱしと上下する睫が頬を叩くが気にしない。離せと暴れる両手が力をなくすまで、抱きすくめて離さなかった。俺はずっとこの人に敵うことはないだろう。参ったという前に思い切り堪能しておきたい。

 さっきと比べてたっぷりと倍近く、二人を隔てる距離がある。しまったなと頭を搔いても遅かった。全身の毛を逆立てて警戒する人から冷たい声が飛んでくる。
「話が進まない」
 気持ちは分かるが仕方がない、あなたのせいでもあるんだよと言ってみたい所だが、そうなるといよいよ手裏剣が飛んできそうだ。心の内は全部伝えると決めたけれど、時には大人の判断も必要である。
「言う気になりましたか?」
「言います、けど。カカシ先生はともかく、はたけ上忍には受け入れてもらえない気がする」
「……どっちも俺でしょ。どういうこと?」
 しゅんと肩を落としてグーパーする姿に一歩躙り寄る。牽制するようにガバッと顔を上げた先生がようやく口を開いた。
「確かめたかった」
「え?」
「カカシ先生が、少しでも俺のことを好きなのか確かめたかった、から。あの術を使いました」
 あああ~と大きな溜息を吐いてゴシゴシと顔を擦る姿は嘘を言っているように思えない。だが既に付き合っているというのに、彼の目的の為に記憶をなくすという部分がどうにも繋がらなかった。とっくに好きだったのに何故、と言えないのが辛い所だ。彼は俺に好かれているという実感などなかったに違いないと、誰よりも俺自身が思っている。思いあまって行動したとしても責められないのだが、はたけ上忍は受け入れないというのはどういう意味なのだろうか。
「押して駄目なら引いてみろ」
「えっ……と……」
「反応に困るのは分かります。でも自来也様の巻物に書いてあったからそうかなって思っちゃって」
 ちっともそうは聞こえないが、術の説明に入っているようだ。言い辛そうにこめかみを搔く先生の傍へ、そろりと距離を縮める。ちらりとこちらを見たので、先を促した。
「俺が告白したら受け入れてもらえたけど、声を掛けるのも誘うのも全部俺からで。多分、カカシ先生は俺が何も言わなければそのままどっかへ行っちゃうんじゃないかと思ってました。俺の話を聞いてくれるけど、自分からはほとんど話さない。たまに優しい目をしてるなって思ったら、子供達の話題の時だし。それで漸く気付いたんです。部下の先生だから断れなかったのかと。玄関でいきなり押し倒された時、ビックリしたけど嫌じゃなかった。何も言わないけど、今この人は俺を求めてるんだなって思ったから嬉しくなって、でも。そんなのは一瞬だった」
 くしゃりと歪んだ顔を手のひらが覆う。泣かないようにと必死で目頭を覆う手には筋が浮くほど力が入っていた。つい触れようと動いた手を戻す。今はまだ、触れてはいけない。彼が自分で語ろうと決めてくれたのだから、待たなくてはいけないのだ。片方が寄りかかるだけでは倒れてしまう。俺が彼の気持ちに胡座を搔いて倒れてしまったように、自分に凭れさせて頭を撫でるだけでは歪んでしまうだろう。自分で決めて進まなければ、袋小路からは出られない。待つことも待たされることも共に痛みが生じる。それを分け合うから、信じて出てきて欲しい。それまでずっと待っている。



 いつの間にか止んでしまった雨は、先生の苦しみを紛らわせてくれなかった。音の無い空間に苦しそうな吐息が混ざり、何かを堪えるような荒い呼吸は俺の喉元も熱くする。深く重く心の底に積もっていた破片は、俺を見る度に一つずつ砕けていった彼の希望や願いだ。一呼吸ごとに吐き出される形にならない何故、どうしてという思いは刃へと変わり、真っ直ぐ俺を切りつける。また二人で始めるには、まずそれを受けなければならない。大きな塊を飲み込むようにゴクリと喉を鳴らしてまた話し始める。苦痛を堪えるような表情に肩を抱いてやりたいけれど、それはもうすこし後だ。
「何も言ってくれなかったから、いつも不安だった。面倒くさいから、都合がいいから声をかけられても断らないだけだとしか思えなくて、苦しかったんです。求められた嬉しさは疑問しか浮かばない辛さになって、変えてしまいたかった」
「うん」
「本当に俺を求めてるなら、記憶を失った俺のことも求めてくれる。もし都合がいいだけだったとしても、今まで一緒にいたんだからって思ってくれるかもしれない。俺の手を取ろうとするなら、俺のことを好きなんだって。そう信じたかったし、気付いて欲しかった」
「それが、押して駄目なら引いてみろ?」
「はい」
 張り詰めていた空気が緩む。一番苦しいところを吐き出して楽になったのかもしれない。ホッとこちらの肩も落ちた所へタイミング良く爆ぜた薪に、びくりとして振り返る。こんなことで驚くなんてと苦笑いを浮かべて先生を見たら、目をまん丸にしていた。自然と笑い合って、肩が触れあう程の距離へと近付く。少し赤い目がゆるりと細められたので、冷たい指先をそっと握った。
2021/09/02(木) 16:45 三度目の恋でも COMMENT(0)
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