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 さほど難しくない任務でも、遠い場所だと時間がかかる。写輪眼が必要とされるのならば木ノ葉でその任務を請け負うのは俺以外にいない。里外へ出てもう三日、後は一昼夜駆ければ里へ戻れるという場所までようやく辿り着いた。最後の一踏ん張りの前に休憩を入れようと街道で見つけた茶屋へ入り、背中から下ろしたリュックを撫でた。中には瑠璃色の瓶が一本入っている。依頼人がお礼にとくれた酒は仄かに果実の香りがしてとても美しく、彼への土産にしようと決めて大切に運んできた。帰ったら待つ人がいるというのは初めての経験で、足元がふわつくこそばゆさに自然と笑いが込み上げる。人生そこそこ、人の腹の内など分かるものかと冷めていたのはどこの誰だ。たった一人と関わっただけで世界が一変したと言うのは、さすがに浮かれすぎか。
 土産だと言って渡したらどんな顔を見せてくれるだろう。いつものように微笑む顔も良いけれど、あの黒い瞳を輝かせることが出来たらもっと嬉しいのだが。うまくいくだろうかと視線を巡らせると、壁沿いの棚に小さな土産物の一角があるのを見つけた。細々とした細工物に混ざってくるりと丸められた髪紐が何種類も並んでいる。彼のしっぽを括っているのはどんな髪紐だったかと記憶を探りながら見ていたら、茶を持ってきた女将が目敏く見つけ、数本見繕うと机の上に広げ始めた。
「ここら辺は養蚕が盛んです。上等な絹糸で編んでいるからキレイでしょう? 色もたくさんありますよ。お土産にお一ついかがですか?」
 目の前の机には薄桃、梔、紅、若草と色艶やかな髪紐が並んでいるが、彼の髪に結びたいのはこんな煌びやかな色ではない。彼の髪に飾るのならば、誰にも気付かれずあの黒髪に馴染むように深く濃く、それでいて目を引く強かさを持つ色がいい。土産物が並ぶ棚の前へ移動すれば、色とりどりの髪紐に混ざって一本だけ暗い色が置いてあった。濃藍の糸で編まれた髪紐は黒と見紛うほどに深く、日の光に透かすと奥に薄らと藍が浮かぶ。一筋だけ編み込まれた銀糸が艶めかしさを添えていてほんのり色っぽい。そっと手のひらに乗せると、滑らかな指触りに黒髪を撫でる瞬間を思い出した。名残惜しく指の腹でするりと一撫でして、財布を取り出しながら後ろへ控える女将に渡す。
「これを」


     ◆◆◆


 里の大門を潜ったのは、傾き始めた陽射しに空が朱を増してゆく時間だった。報告ラッシュの前ならば声を掛けやすいはずだと、丁度良いタイミングに足取りも軽い。報告書を提出したら一度シャワーを浴びに家へ帰る。身支度を調えて受付へ戻れば彼の勤務も終わる頃だ。そうしたら二人でこの酒を開けて髪紐を渡そう。今日はもう休めと言われそうだが、包みを開いた瞬間の顔を見ることだけを楽しみにしてここまで瓶を担いできたのだ。早く驚く顔を見たいし、どうしても一緒に過ごしたい。受付にいてくれますように、一度は断っても笑って許してくれますようにと願いながら扉を開けた。
 がらんとした室内には報告待ちの列もなく、カウンター内にいる数人が書類を処理する以外は閑散としていた。中央左の定位置に座って書類に書き込みをしている姿に良かったと胸を撫で下ろす。ポーチへ手を入れて探ると、指先に触れた包みが心臓を跳ねさせた。これを渡すのはまだ先だと報告書を取り出し緊張を散らすように軽く息を吐く。真っ直ぐに彼の前へと向かい報告書を差し出すと、顔を上げてニッコリ笑ってくれた。
「お疲れ様でした。ご無事の帰還なによりです。確認致しますので少々お待ち下さい」
 チリ、と項がひりついた。ぶわりと湧き上がる嫌な予感が全身に広がって鳥肌が立つ。俯いて報告書を確認する姿はいつもと変わりなく、掛ける言葉だっておかしな物ではなかった。でも、額に浮かんだ汗が何かおかしいと言っている。
「結構です。はたけ上忍への指名任務はありませんので、明日は休暇を取って下さい」
 受領済みの判子を押しながら流れるように出てきた言葉に耳を疑う。
「あの、先生」
「……は、はい?」
 驚いたように目を見開いて返事をする顔には疑問符がたくさん浮かんでいて、何故話しかけられるのか理解できないと語っていた。俺達は元々仲が良い訳ではなかったし、子供達がいなければずっと接点を得られなかったことも否定できない。目の前の姿は実際にあったかもしれない世界なのだと感じてゾッとした。少なくとも今の俺は、彼にこんな顔をされると胸が痛いほどに心を許している。如何なる事態にも対処できなければ上忍失格だと思いつつ、他人を見る彼の瞳に思考が停止した。こんな悪い冗談をするような人ではないとよく知っているし、それが逆に絶望を呼び込んで足元を冷やす。嘘のない瞳は却って心を締め付けて、どうか間違いであってくれと叫び出したい。
「先生」
「は、ご用件をお伺い致します。どうされましたかはたけ上忍」
 生真面目そうに鼻の付け根へ皺を寄せ深刻な表情をしているが、瞳には一体何が起きたのかという動揺の色が濃い。俺が彼を「先生」と呼び、話しかけることは彼にとって異常事態に入るのかと、意識が遠のきかけた。
「イルカどうした」
 隣に座っていた中忍が心配そうに覗き込んでいる。ほっとした表情を向ける姿に胸が痛い。あなたがその顔を向けるのは恋人である俺のはずなのに、今は全く逆の立場だ。
「はたけ上忍に何かあったようだ。綱手様は火影室だよな」
「違うだろ」
「違うって何が」
 全くピンと来ない様子に弱り果て、助けを求めるようにうろたえた目で俺を見る。ごくんと一度唾を飲み込んで口を開いた。出てきた声が震えていなかったことに安堵して、冷静な振りを装う。
「一緒に火影室へ行って綱手様に見て頂きましょう」
「私はまだ勤務がありますし、不調でもありませんが」
「その言い方が既におかしいんだよっ! 分かってないのはお前だけだ。はたけ上忍お願いできますか」
「うん」
 書類を握ったまま固まる人の腕を引っ張って立たせる。四日ぶりに彼へ触れるのがこんな形だなんて、想像していなかった。
2021/09/02(木) 16:36 三度目の恋でも COMMENT(0)
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