◆各種設定ごった煮注意

解説があるものは先にご確認ください
※雨障の二人 「春の香り」の続き



 満開の花弁に急き立てられるように足が速い。咲いた花が散るのは一瞬だ。開き始めるまではまだかまだかと待っているせいか、その何倍ものスピードで時間が過ぎるように感じる。
 いつもはただ眺めるだけだった桜に、もう少しそのままでいて欲しいと思うようになったのは、桜と結び付く人がいるからだ。頭の中に浮かんだ顔は嬉しそうに微笑んでいて、ずっとそのままでいてほしいと思う。それが桜のおかげならば、一秒でも長く咲き続けてくれ。
 リュックの中で揺れる包みを早く彼と一緒に開けたい。甘いものを好きじゃないと知っているけれど、香りだけでも楽しんでもらいたかった。
「こんちはー」
「おうイルカ」
 ガラス戸をくぐり抜け、本棚に囲まれた狭い通路を進む。番人よろしく帳場に座るアスマさんが、軽く手を挙げる。変わらない空気に頬が緩んだ。
「桜餅買ってきたよ」
「おう。茶淹れるか」
「いい。すぐ行くから」
「わざわざ買いに来たんだろ?食わねえのか」
「お、……別にあるから」
 俺達の分は、と言いかけて言葉を濁した。ピクリと動いた眉から目を逸らし鼻傷を搔く。はたけさんと食べる為に買いに来たなんて、わざわざ言うのは気恥ずかしい。リュックにしまっておいて良かった。
 ふっと息を吐く音に肩が跳ねそうになる。
「あいつ甘いもんは食わねえぞ」
「……知ってるよ。だから桜餅にした」
 言わずとも見透かされてつい口調がぶっきらぼうになった。
 本当は苺大福も食べたかったけど、今日は桜餅。甘いものが苦手なはたけさんでも、餅を包む桜の葉の香りを楽しめると思ったのだ。これならきっと、二人とも楽しめる。
 小さな笑い声に、がさがさと包みを開く音、ほんのり広がる和紙の香り。双葉堂で菓子を買うと、パックを和紙で包んでくれる。俺はこの香りが好きだった。
「春がきたなあ」
 透明なパックの中に行儀良く並ぶ桜餅。淡いピンクは確かに春の色だ。
「ちょっとしょっぱいかもしれねえが、楽しめよ」
「だから美味いんじゃん」
「そうだな」
 大きな手が伸びてきて頭をわしわしと撫で回す。幼い頃のような仕草に思わず笑ってしまった。つられたようにアスマさんも笑い出す。
 春は、楽しい。



 桜餅を残し店を出る。商店街を歩いていると、コーヒーの香りがした。古い傘屋だった場所が小さな喫茶店になっている。真新しい白い壁は眩しいくらいだ。
 店先の立て看板には、湯気の上がるカップと桜の花のイラストが踊っていた。

――コーヒーをご注文のお客様へ桜のクッキープレゼント

 スマホを取り出して一枚。すぐにはたけさんへ送る。ちょうど彼のモーニングコーヒーの時間だ。
 すぐに既読がついた。嬉しさに指がするする動く。



   春を連れて行きます。桜の下で会いましょう



 返事を待たず画面を閉じる。弾む足取りで彼の元へ向かった。
2022/04/13(水) 10:09 短い物 COMMENT(0)
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