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 三年目の浮気も七年目の倦怠期も俺達には関係なかった。むしろ、仕事に終われる三年目、欲求不満が爆発寸前七年目って感じだった。とにかく里の長という立場はわけが分からないくらい忙しく、ようやく思いを通い合わせた恋人と過ごす時間を取るにも一苦労。痺れを切らした先生が押しかけ女房に変わるほど、一緒にいられる時間は僅かだったのだ。
 同棲を始めた所で日が変わる前に家へ帰れたら良い方で、恋人と夕餉を楽しむなんて時間は取れない。分かっていたから鍵を渡さなかったのにと、忸怩たる思いを抱えて辿る家路は心に刺さる。これで良いのかと悩みながら歩いたのを、今でも思い出す。恋人が待っているとウキウキしながら歩いたのなんて、片手で足りるほど僅かだ。
 それでも家の扉を開ければ、いつだってほんのりと温かい空気が迎えてくれた。一人きりの家はいつ帰っても冷えきった空気が漂っていて、真夏の濁った空気を恋しく感じるほどに侘しかったけれど、今は違う。すでにベッドに入っている先生を起こさないように、そっと寝顔を覗き見するのは幸せだった。たまに早く帰れた日は二人でテーブルに座って、飯を食べる俺を正面で先生が見ててくれる。ごめんねと謝る俺に、帰ってきてくれればいんですと笑ってくれた。あの時は無理をさせているとばかり思っていたけれど、今はちゃんと理解している。あれは、先生の本心だ。



 鍋の底に沈んだ鰹節を引き上げてなめこを入れる。少し煮て豆腐を追加。火を止めたら味噌を溶く。今日はなめこと豆腐の味噌汁に蒸し鶏のみぞれ和え。茄子とししとうの揚げ出しに、昨日の残りのかぼちゃでいいか。仕上げを残して居間へ戻る。先生が帰ってくるまでと、テーブルで愛読書を広げた。

 火影をナルトに譲って引退した。今までは時間に追われるか時間すら意識できない生活しか無かったが、人生で始めてゆとりのある暮らしというのを手に入れた。夜中に叩き起こされることもなければ、日が昇る前に動くこともない、平穏な暮らし。校長として忙しい先生の代わりに、俺が家の中を取り仕切っている。彼が笑顔でただいまと言えるように、ホコリの積もらない部屋、ふかふかのタオル、温かい食事を整える。かつて先生が俺にしてくれた事を、今では俺がやっているのだ。時々先生はすみませんと言うけれど、その時は同じ言葉を返している。あなたが家に帰ってくれればいい。俺が望むのはそれだけだ。
 玄関のドアが開く音が待ち遠しい。こんな生活もいいねとのんびりページをめくる。とても幸せだ。



 風呂場から聞こえる水音が止んで、脱衣所への扉を開ける音がした。いよいよだと湯呑みを握る手に力が入る。ぐっと飲み干して三秒。……やっぱりきかんなともう一杯注いだ。いつもなら湯気を上げる茶が入っているが、今日の中身は焼酎だ。酒で勢いをつければ何とかいける思ったが、ビックリするほど酔えない。しっかりしろともう一杯飲む。もっとがんばれアルコール。
 いつもと同じ穏やかな食卓、平穏な一日。なめこの味噌汁を啜りながらそう思っていた俺は、腹が立つほど良く聞こえる耳に思い切り叩き潰された。何故人の耳は、拾わなくて良いことばかり拾うのか。永遠の課題だ。

 二人揃っていただきますをして、いつも通りに夕餉はスタートした。蒸し鶏は柔らかく出来たし、揚げ出しもしつこくない。うまくいったなと満足する俺に、先生も美味しいと言って笑ってくれた。ご飯だってお代わりしてくれたのに、味噌汁の椀を持ち上げてぽつりと言ったのだ。それは、本当に無意識に出てしまった吐息のようなもので、ひょっとして本人は口に出したことすら気づいていないのかもしれない。手に持った椀へ口をつけるまでのほんの数秒の間。その僅かな間に先生はぽろっと言ったのだ。俺は、あの言葉の意味を確かめなければいけない。でも答えを聞くのが怖くて、素面では無理だった。湯呑みの中を見つめながら問い掛ける。あの言葉はどういう意味ですか?今の生活を幸せだと思っているのは俺だけなんて、想像すらしていなかったのだ。




 風呂から出てきた先生は、半分程になった焼酎の瓶と湯呑みを握りしめる俺を見て目を丸くした。立ったままタオルでごしごしと頭を拭いていたが、髪をくるくるっと括ると正面に座った。
「乾かさないの?」
「いいんですか?」
 湯上がりの温かい指が、ちょんと俺の手の甲をつつく。手の中の湯呑みをすいと奪い取って一気に空けた。空の湯呑みを唇に当てたまま少し首を傾げる。じっと見つめる目がふわりと緩んだので、準備も覚悟もすべて忘れてぶちまけてしまった。
「俺だけじゃないよね?先生も幸せだよね?……今の生活、嫌じゃないよね」
 ぱちぱちと瞬きをする先生に、今度はゆっくりと問いかける。
「あの頃に戻りたいって、どういう意味?」
「……俺、口に出してましたか」
「出てた。だから気になって」
「そっか」
 湯呑みを持った先生が立ち上がって出て行く。台所から聞こえる音に、湯を沸かしているのだと分かった。返事のないまま待つ数分は果てしなく長い。茶なんかどうでもいいと喚きたかったが、俺はただ怯えて椅子に座っていた。
「どうぞ」
 湯気の上がる湯呑みが二つ。こんな顔で向かい合うのは初めてかもしれない。苛立ちも確かにあるのに、喧嘩とは違う少し諦めの入った空気。思いのままにぶつかれば分かりあえるなんて青臭いことを言う歳ではないが、それでも淋しかった。俺達は一緒にいる内に変わってしまったのだろう。
「十三年ですね。付き合いはじめて」
「うん」
「一緒に済むようになって六、七年?」
「そのくらい」
「最初はあなたが忙しくって、恋人っていってもほとんど会えなくて。我慢できずに俺が押しかけたんですよね」
「嘘。ヨレヨレの俺がそれでもあなたの所へ向かうから、無理しなくていいように来てくれたんでしょ」
「そうでしたっけ」
「俺愛されてるなあって思ったもん」
「それは俺でしょ。あんなになってても、会いにきてくれたんだから。いつも、あなたは俺の所に来てくれた」
「うん」
「今は、俺があなたの所へ帰ってくる。毎日何があってもどれだけ疲れても、家に帰ればあなたがいる。幸せだなあって。そう思って眠りにつきます。毎日、そう思って眠る」
「俺もだよ。なのに何であんなこと言ったの。あの頃っていつ?戻ってどうしたいの」
 湯呑みを撫でていた先生が右手を広げた。テーブルにペタリと手の平をつけて大きく開く。左手の指で、広げた右手をゆっくりとなぞった。指を一本ずつ、爪を一つずつ、手の甲に浮き出た健もクナイダコも、全て。
「この手が一番持ってるのって、何だと思います?クナイでも手裏剣でもチョークでもなくて、ペンです。校長っていうのは書類仕事ばかりで。この手が変わったように、俺達も変わりました。いつも俺が一人で待っていた家は、今ではあなたが待っている。こうして待たせるのはあとどの位あるんでしょう。あなたが待っていてくれるのはあと何回?」
「俺はいつだって待ってるよ。先生が帰ってくるのをずっと待ってる」
「分かりますよ。俺だってそう思ってた。でもね、歳をとると思うんですよ。どうして待つばかりなんだろう。どうして待たせてばかりなんだろう。あと何回あるのかって数える方が早い歳になっても、どうして俺達は待たせてばかりなんだろうって。本当は一緒にいたいのに」
 目の前に座る先生が、一瞬昔の姿に見えた。ひとりぼっちで俺の帰りを待っていたあの頃。帰ってきてくれればいいと言ってくれたけど、一緒にいる方がもっといいに決まってる。それは待たせる身になっても同じなのだ。姿も立場も変わっても、望むことだけは変わっていない。先生だけでなく俺も一緒だ。
「あの頃に戻ったら、どうしようか」
「もっと無茶します。もっと我が儘言って、もっと働いて、もっと一緒にいる」
「たまには仕事サボって温泉くらい行けば良かった。きっと今行っても、あの頃行ったことと同じにはならないもんね」
「今だから、分かるんですけど」
「そうだね」
 俺達はいつだって必死だった。ずっと一生懸命走ってきただけだ。あの頃に戻っても、結局同じことになるかもしれない。むしろ分かっているからこそ、戻りたいと言ってしまったのだろう。振り返れば歯痒くて物足りなくて苛立ちさえ浮かぶのに、それでも懐かしい時間を思って。

「もし、自分が十年後から思い返しているとして。今何をしたい?」
「今?」
「うん」
 天井を睨んで考えていたが、湯呑みを見て焼酎の瓶を見て、最後に俺を見て笑った。
「グラスが欲しい」
「グラス?」
「はい」
 ニコニコ笑いながら焼酎の瓶を指す。二人で飯を食って風呂へ入って、たまに晩酌。未来の俺達が、幸せなあの頃を思い返しているのが見えた。うっかり涙ぐみそうになって立ち上がる。
「いいね」
 グラスを二つ手にとって背中越しに頷いた。



2021/01/24
2021/08/29(日) 02:22 ワンライ COMMENT(0)
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