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 まん丸に膨れた月へ手を伸ばしてみる。あんなにハッキリと見えているのに、実際はとても遠くにあるので手が届くことなんてない。月はいつも頭の上にあるなあなんて思いながら手を下ろした。
 膝に載せた手の上から見上げても、やっぱりぽかりと浮かんでいる。寝転んでも逆立ちしても見上げた先にあるのだから、俺との位置は変わらないのだ。もちろん普通に立っていても。
 カカシさんに押し倒されて世界はひっくり返った。信じていたものに裏切られたと思い、何も信じてはいけないと決めてじっと立っていた。そろそろいいだろうと誘われてうっかり足を踏み出せば、あっという間に宙に放り出され。受け止めてくれた人がよく知っている顔をしたから、また世界がぐるんと回った。
 元通りだとホッとしたのは一瞬で、別の顔を見せた人に憤ったり自分の過ちを知って悔やんだり、ありとあらゆる形で揺さぶられた結果、もうどこを向いているのかも分からない。ゴロゴロ転げ落ちた先で俺は浮いているのか沈んでいるのか。自分の感覚をすっかり狂わされてしまった。
 それでも立っているつもりでいた。分からないなりに体を起こし、少しずつでも進んでいるつもりでいたしこのまま進めば良いと信じていたのに、とうとう足場までが崩れ去った。俺は今まで何を見て何を信じ、何に安心していたのだろう。後悔や涙や謝罪は、誰の何にしていたのか。あの人は俺に何を求めているのか。どうしても知りたい。

 冷たい夜気が僅かに乱れた。廊下の端に立つ人へ笑いかける。
「お疲れ様です」
「……どうしているの」
「確かめに来ました」
 立ち上がって尻を叩く。全身が冷えてカチコチになる前に帰ってきてくれて良かった。
 月が明るくてお互いの顔がハッキリ見える。いま俺はどんな風に映っているのだろうか。最初から思い出して考える内に、刻まれた恐怖は吹っ切れた。戸惑いは残っていても怯えは無いはずだ。
 あちこちずれていたのは、一番肝心なことを聞かなかったからではないだろうか。俺はずっと自分の叫びを吐き出すだけで、カカシさんにもらうべき答えを見過ごしていた。
 歪んだ関係の上に立てたものはいつか壊れる。彼の言った通り俺達の関係は壊れた。恐らく、円満だと感じていた友情はそれ自体が歪なものだったのだ。きっと彼だけは分かっていた。あの言葉はこれから起きることだけでなく、既に起きたことも指していたのだろう。俺には本当のカカシさんが全く見えていない。あの夜の原因がそこにあるのなら、戻るべき位置は間違っている。
「同じ話を繰り返すつもりは無いよ」
「今日は違う話です。入れてもらえませんか」
「……俺の家なんだけど」
「はい」
「いいの」
「もちろん」
 今の自分は彼の答えをどう受け止めるのか。むしろ入って確認したいくらいだ。カカシさんの手の中で。
 距離を取っていたカカシさんが歩きながら鍵を出した。軽く全身に震えが走る。これは恐怖ではなく武者震いだ。
 
 通された部屋はガランとして人の匂いを感じなかった。本当に住んでいるのかと思うくらい部屋の中の気配が薄い。人が暮す上で出る匂いや空気がなく、常に雑多な空気が漂う俺の家とは反対だ。里外を走り回る彼らしいとも言えるけれど、俺から見ればどこか別の人間の家のように感じる。一緒に過ごす彼は笑ったり困ったり、様々な顔をしていた。友人として付き合ってきたカカシさんの背後が、こんな何もない場所だとは信じられない。
 部屋の真ん中で突っ立っている俺へ背中から声がかかる。
「ごめん。何もない」
「いりません。座って頂けますか」
 勝手に腰を下ろして正面を見る。カカシさんは少し迷った後、入り口とは反対の壁に立ったままもたれ掛った。腕を組み決して座らない姿に空気がひりつく。
 あえて入り口と反対の場所を選んだのが彼らしい。本気になったら敵わないと理解しているけれど、逃げ道は開けてある。中へ入れることを躊躇ったのもあっちだ。部屋と併せてみたら、ほんの僅かながら何かが見えてきた。彼は自分の中に俺に対して隠すべき何かを持っているのだ。それを暴かれまいと警戒している。あるいは、彼の中にあるそのものを警戒しているのかもしれない。
 鞄の中から畳まれたプリントを取り出し、丁寧に広げながら聞いた。
「今日、何か文書を受け取りましたか」
「いや、受付でもらったのは依頼書だけだけど」
「そうですか。ではこちらを見て頂きたいので、もっと近くへ」
 難しい顔から逡巡が見てとれる。あえて座らなかったと分かっているが、受け入れていてはずっと平行線だろう。俺は痛みを堪える場所を間違えていた。受け止めるべきはもっと違うものだ。
 俺達の間には気づかない内に引かれていた線がある。引いたのは彼の方。カカシさんが自ら引いた線を越えようとしたのが発端だ。何故引いたのか、何故越えたのか。それを言ってもらわなければ始まらない。切っ掛けは持ってきた。
 テーブルに置いたプリントに手を添え、彼の名を呼ぶ。
「カカシさん」
 促しに渋々足を進め、プリントを手に取って確認するように目線を動かす。流れるような動きがピタリと止まった。目を凝らしていても分からないくらい微かに肩が落ち、ゆっくりと息を吐き出す音。静寂の中に満ちる、音にならない感情の端々。
「気づいたの。気づかなければ良かったのに」
 諦めたかのような穏やかな声。先程までの俺を追い払おうとする空気はすっかり消え失せてしまった。
「あの夜どうして俺を、…………。あなたにはナタの徒花なんて効果なかったはずです。理由を教えてください。嘘も誤魔化しも沈黙も無しで」
「自分に落ち度は無かったって分かったら、強気になっちゃった?俺に影響しなかっただけで、あなたのミスは忍として失格と言ってもいいくらいだ。未確認の薬物を里内で不用意に摂取してたんだから」
「それについては深く反省しています。犯した罪に何ら変わりはない。でも俺の中で、あなたがした事の理由は大きく変わりました。答えてください」
 挑発するような言葉に乗っかったりしない。普段穏やかな彼があえてこんな言い方をするのなら、そこに弱みがあるのだろう。俺が受けた痛みには理由があるとずっと感じている。例えどれだけ信じがたい言葉でも、まずは聞かせてほしかった。
「すっかり普通だね。隣に立つのを躊躇していた人とは思えないよ?密室で二人になるのをあれほど怖がっていたのに、一体どうしたんだか。こんなプリント一枚で何が分かるの。先生が変わる拠り所に出来ることなんて何もないでしょ」
 プリントの上に手をついて、テーブル越しに身を乗り出す。上から覆い被さるような体勢はわざとだ。必死に隠そうとすればするほど足掻きが匂い立つ。普段やらないことまでして、ここをつつけと示しているようなのに自分では気づかないのか。

 その必死さを感じなかったことこそが、俺の一番の過ちなのかもしれない。カカシさんがこれほど臆病者だとは知らなかった。
「怖くなくて当然です。薬のせいじゃないなら、あなたはいつだって俺を好きに出来た。でもしなかったでしょう。あの時だけが特別だったんですね。カカシさんが止まらなかった理由を教えて下さい。そうしたら」
「俺を許す?俺を怖がらなくなって、あなたの納得する理由をもらって、そうしたら。あなたは俺を許してしまうの?許された俺はどこへ行くの」
「どこへって」
「友人には戻れない。許すことで怒りや憎しみを恐怖と一緒に流したら、あなたの中の俺はいなくなってしまうでしょう。嘘を張り付かせた俺だけを残して、あなたは俺を消してしまう。友人のはたけカカシはとっくに壊れてる。分かっているのにどうして聞きにきたの。俺に何を言わせたいの」
 明かりを背負っているから顔が見えないと思っているのだろうか。暗がりの中でも苦しげに歪む瞳はしっかりと見える。声音だけ偽って鼻で笑ってみせても、彼の本心はもう隠せない。これでも気づかれないと思っているなんて、どこまで見くびっているのだろう。そんな生易しいものではないととっくに気づいているはずなのに。
 ふらふらと逃げようとする視線を真っ直ぐ見つめた。もう逃がすことは出来ない。お互いの為に、打ち明けるべきなのだ。
「俺が聞きたいのは一つです。あの夜からずっと答えてほしかった。カカシさん、俺を襲ったのは何故ですか」
「……」
「カカシさん。答えを」
 答えてくれるまで一晩だってここにいる。言葉にしなくとも彼に分からないはずが無い。他の誰よりも俺を見ていた人だ。俺自身が気づかない俺のことまで丁寧に掬い上げてくれた。だからこそ行き詰まった。
 見据える瞳がどれだけ揺れても俺が逸らす事は無い。打ち明けてくれるなら受け止める。それが俺が示すことの出来る彼への信頼だ。怖がらず俺を見て欲しい。
 堪えきれないと顎を引く。垂れ下がった銀髪が唯一見えていた瞳を隠した。どこまでもずるい人だけど、それはきっとカカシさんの覚悟の表れだ。
「……好きでした。先生のことがずっと好きだった。友人として傍にいても、あなたの事が好きで堪らなかった。距離が縮まって嬉しかったけど、親しくなればなるほど先の無さを実感する。俺の望みとあなたの望みは決して重ならない。先生は温かい家庭を作りたいんでしょう?自分には絶対に与えられないって分かっているのに、そう言って笑うあなたが好きなんですよ。何なんだこれは。全く理解出来ない」
 力の入った指先がプリントにくしゃりと皺を寄せた。彼の手の下で橙色の花が咲いている。
「最初から負けは決まってた。苦しくても痛くても絶対に言えない。俺に出来るのは、どうしたら近くにいられるのかを考えることだけ。あなたがくれた友人って立場は、とてもありがたいものだった。諦めるにも自分を慰めるにも都合の良い関係で、少なくともあの夜まではベストだと思ってた。嘘じゃない。だけど」
 言葉を切ったカカシさんは苦しげに息を吐いた。手の中の花ごと握りこんだ拳が震える。
「甘い匂いを纏うあなたに会うまではそう思ってたのに、一瞬だ。ああだこうだ積み上げてたものなんて、笑っちゃうくらい一瞬で全部崩れた。言い訳を山と積み上げても、結局俺はあんたが欲しかったんです。誘惑の匂いをフワフワさせるあんたも、二人だけの部屋も飲み過ぎた酒も、すべてが自分の為に整えられたように感じた。もういいから進めと言われた気がして。言っていたのは自分なんだろうけど」
 乾いた笑いが隠れた口元から溢れる。ちっとも笑えない。カカシさんの話は笑いなんかに紛らわせて良いことじゃない。だけど、俺が言っていいことでも無い。苦しみの原因は他の誰でも無い俺だ。
「媚薬を摂取するなんてうっかり、そうは起こらない。今回だってたまたまだ。俺とあんたの間に二回目がくることなんて絶対ない。唯一のチャンスだと思ったら、床に押し倒してた。後は」
「知ってます」
 雁字搦めになっていたカカシさんは、偶然に飛びついてしまった。「媚薬」という言い訳があれば、それまでの関係を保つことが出来る気がしたのだろう。沸騰しきった頭にはマイナス要素なんて浮かばなかったに違いない。何より媚薬の存在に気づいていたのだ。俺が自分の不注意を責めることまで想定内、済し崩しに友人の地位だけは確保できると計算したのが見える。翌日、何もなかったように放課後のアカデミーに現れ話しかけてきたのがその証拠だ。明らかに怯える俺の姿なんて想像すらしなかった彼は、きっと激しい動揺に陥っただろう。
 俺達は今までの関係に甘えて同じミスをした。相手にどうしようもない傷を負わせても元に戻れると思ってしまった。カカシさんは、俺に暴行しても薬と酒の過ちと流されると過信して。俺は傷ついたのは自分の方だからと、彼の悩みなど考えもせず。
 決定的な出来事があったのに、お互い元に戻れると思ったのだ。そんなに簡単ではないのに。最初をかけ違えていても、その後を丁寧に積めば今は違っていたかもしれない。でも土台だけでなく、油断と過信で積み上げた全てはもうどうしようもなくバラバラになってしまって手に取ることさえ難しかった。
「ごめんなさい」
「……何回も言ったでしょう。あなたが謝る必要は無い」
「ごめんなさい」
 びくりと震えたカカシさんは座り込み手で顔を覆った。項垂れる銀色の頭を前に立ち上がる。同じ言葉でも含まれる意味が違っていた。それを理解してくれる人で良かったと思う。
2021/11/30(火) 10:50 ゆらゆら COMMENT(0)
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